文化・芸術

<生命賛歌の裸婦> 宮本三郎

 宮本三郎は「写実の画家」であると同時に「色彩の画家」でもあった。
 宮本の画集をめくると左右に裸婦があらわれる。左側の裸婦は「青い敷物」と題された作品である。これに対して、右側の裸婦は「裸婦達に捧ぐ」と題された作品である。

 このふたつの作品を一瞥するだけで宮本三郎が写実の画家であると同時に色彩の画家であることがわかる。「青い敷物」は血色のよい豊かな肢体を画面の中央においてそのまわりを青の色彩で埋めているが、写実性に優れている作品である。

 「裸婦達に捧ぐ」は深紅の色に埋まるようにして、ふたりの裸婦が寝ころがっている。その姿はいかにものびのびとしている。そのうえ、裸婦のまわりには色とりどりの花が惜しみなくまき散らされている。まさに色彩の豊かな作品なのである。

 宮本が「青い敷物」から三十三年あとに描いたのが「裸婦達に捧ぐ」である。その間に宮本三郎は写実の画家から色彩の画家に変容したといってもおかしくないような変わりぶりである。

 次のページをめくると、おなじように左右対象の裸婦があらわれる。左側が「裸女結髪」という作品であるのに対して、左側が「鏡の前」という作品である。ふたつの作品に共通しているところは、鏡の前で身づくろいをしているところである。

 「裸女結髪」では、若い女性が部屋の一隅に座り込んで髪を結っているところが描かれている。そのふくよかな肉体はいかにも健康そのものであるが、その描かれ方はみるからに写実的である。

 これに対して、「鏡の前」では、ひとりの裸婦が大きな鏡に全身をうつして化粧をしているところが描かれている。ルノワールの裸婦をおもわせるように色彩が鮮やかであるが、描かれ方はタッチがあらくて、ボナールの作品をおもい起こさせる。

 次からのページでは写実性が消えて色彩のゆたかな裸婦たちばかりがあらわれてくる。線描のリアリストとまでいわれた宮本三郎が色彩画家に豹変したかのような錯覚さえ起こす作品ばかりである。

 昭和三十年代は国際的にみても抽象画の波が荒れ狂った時代であったといわれている。このような時代背景にあって、宮本も写実を捨てて抽象画に近い作品を描きはじめたことがある。でも、それは一時的な心の迷いであったようである。

 宮本はそこから抜け出る方法をあらたな裸婦に求めたのである。宮本の絵画のテーマは「生命賛美」である。それが現実のものとなった背景には、西洋の神話や聖書が裸婦と結びつくことがわかったからである。

「裸婦を線やボリュームや肌色の美しさばかりでなしに、もっと人間的な、恋情や慕情の対象としての、あの素晴らしさが描きたい」宮本はこのような念願のうえに、さらに、
「もっと素直に感情を歌いあげたい」と、切望するようになっていった。

 このような願望のもとに宮本が精魂を込めて描きあげた作品が晩年の裸婦シリーズである。すなわち、新約聖書から題材をとった「SAROME」であったり、ギリシャ神話にもとづいた「レ・トロワ・グラース」だったり、「VENUS ANADYOMENE」という作品だったりする。

 いずれの作品も色彩があざやかで生命の賛歌を髣髴とさせる作品ばかりであるが、宮本にはこのほかに「仮眠」という作品がある。ひとりの全裸の若い女性が花と人形にとりかこまれて横たわりながらまどろんでいるところが描かれている。

 裸婦の美を求めつづけて来た宮本三郎の絶筆として知られている名作である。フォルムの変化といい、肌の陰影といい、まわりにちりばめられている人形たちの瞳といい、この作品からうける印象は「生命の賛歌」以外のなにものでもない。

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<官能の裸婦> 古沢岩美

 裸婦に官能はつきものである。ボッティチェルリに「ヴィーナスの誕生」という作品がある。この作品は「天国のヴィーナス」といわれ、通常は官能性が否定されるといわれている。だが、わたしはこの作品にも官能性を感じるのである。

 それならば、「自然のヴィーナス」の代表的な画家といえるルノアールの一連の裸婦に官能を感じないわけがない。それでもルノアールの裸婦を淫らだと悪罵を浴びせる人はいない。ところがわが国の古沢岩美の裸婦となると、芸術の域を超えているという人たちの声が聞こえてくるようである。それほどまでに古沢の描く裸婦は官能性に満ち溢れているのだ。

 その源泉はどこにあるのであろうか。ひとことでいってしまうとモデルとの人間関係にあるということになる。もともと女がヌードになるのは愛する人のためなのだ。これほど説得力ある論理はない。だから、古沢はヌードになれきった女性は裸婦のモデルとしてはふさわしくないといっている。

 もとよりルノアールの裸婦も魅力に満ちている。だが、そこにはモデルの意思は反映されてはいない。モデルはルノアールに愛撫されるだけの存在にすぎないのである。ところが古沢岩美の描く裸婦となると、モデル自身が羞恥心をかなぐり捨てて、みずからの意思で演技をしているのである。

「ボクはヌードになったばかりの、猫をかぶったようなときは描きたくはないのです。スケッチをかまえて三十分も待っていると、どんなモデルでもうごきはじめますよ。いままでのすましきった化けの皮をぬぎすててかくしていた女の本質をはじらいなく見せてくれます。かくしていた秘所を見せびらかして、獣として挑んできます。そこまでいかないと、描かないのですよ」

 岩沢は上記のように創作の原点を種明かししている。わたしはこの一文を読んで心底から納得をした。そうでなければ、あんなリアリティーに富んだ官能性が表現できるはずがないのである。わたしの脳裏にはいまでも色彩が鮮やかで、からだ全体に官能性をみなぎらせている岩沢の描く裸婦たちがどかりといすわっている。岩沢の描く裸婦はいっぺん目にしたら忘れられない作品ばかりである。

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<黒猫のいる裸婦> 弦田英太郎

 裸婦に猫が描かれている作品となると、まずマネの「オランピア」に黒猫が登場している。日本人の作品では藤田嗣治の「五人の裸婦」や「タピスリーの裸婦」などにも猫が描かれている。どうも裸婦と猫とは相性がいいようで弦田英太郎の「黒猫のいる裸婦」にも文字通り黒猫が登場している。

 弦田画伯の描く裸婦はいずれも美人であり、容姿もすらりとしている。そのなかでもこの「黒猫のいる裸婦」はひときわ美しく描かれている。肩まで垂れ下がった長髪、きらりとひかっている瞳、筋の通った鼻、それにセクシーな唇が添えられて申し分のない美人の容貌である。

それにすらりとして、しかも瑞々しい肉体をおしげもなく横たえているのである。それでいてどこか奥ゆかしいところがある。それに一役かっているのが黒猫のような気がする。ここまでくると、たんなる裸婦ではなく立派なひとつの芸術作品といえる。

 弦田画伯にいわせると、裸婦の美しさは芸術の大きな源泉であるという。だが、それだけにあらゆる芸術のなかでもっとも困難な題材のひとつであるともいっている。この作品のなかでも弦田画伯は十分に自らの告白を立証しているようにおもわれる。

 すなわち、みずみずしいまでの肌、裸婦が醸し出す魅力的な風情、うるおいのなかにあるしっとりとしたかげり、それらがあいまってひとりの生きた裸婦が描かれているのである。

 これだけの裸婦が描けるようになるには、それこそひたむきに精進をかさねるほかに道はないのであろう。弦田画伯にとっては生涯が修行なのである。もとより、その意味では、この「猫のいる裸婦」もそのなかの一里塚であったのかもしれない。

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<変幻する裸婦> 東郷清児

「わたしは恋愛感情に衝き動かされながら絵を描いてきた」
 これはピカソのことばであるが、ピカソならずとも多くの画家たちが常人では考えられない異性関係を結んでいる。そのひとりとして、東郷青児をあげることができる。

 東郷は日本洋画の典型をつくった功労者のひとりである。若いころ、パリに留学して、本場のキュビズムやシュールレアリズムを学んで帰国すると、それを本活的な日本の油絵にうつしかえた優れた洋画家なのである。

 その功績とは裏腹に東郷もピカソにおとらず生と性の愛憎地獄を生きた画家でもあった。すなわち、幼いころから画才に恵まれていた東郷は、竹久夢二の美人画のモデルになった岸たまきが経営している「港屋」という店に出入りした。

この店はいまでいうギャラリーで夢二の木版画、絵葉書、封筒などを売っていたが、東郷が出入りするようになったころには、夢二にはほかに愛人ができていてこの店には寄りつかなかった。そこで東郷はたまきから夢二の絵の代筆をさせられたのである。

そればかりか、のちの資料によると、竹久夢二は東郷とたまきがただならぬ関係にあるとして、たまきをわざわざ旅先まで呼び出して、暴力をふるったばかりでなく、嫉妬に狂って刃傷沙汰まで起こしている。

 妻子の待つ日本へパリ留学から帰国した東郷は、当時まだ女子大生であった女性と恋愛関係になったばかりか、結婚できないことを悲観して、ガスを放ちノドを切るという心中未遂事件を起こしている。それにもかかわらず、すぐそのあとには作家の宇野千代と知り合い五年間の同棲生活を送っている。

 そのあとは心中未遂をした女性と正式に結婚することになるが、それからも竹久夢二とおなじようになにかと女性関係が絶えなかったといわれている。その東郷の画業のひとつに「東郷製裸婦」として一世を風靡した裸婦がある。

 その裸婦を見ると、愛憎地獄を生きた画家の作品とはおもえないほどに洗練された作品ばかりである。さすがキュウビスムの洗礼をうけた画家だけのことはあって、独特の抽象画で描かれているが、そこには具象画にはない特有のスマートさがある。

「若さをたたえた美しい肉体は妖精にほかならない」「女は激情の船である。静まりかえった海も走れば、荒れ狂う海にも船出する船もある」「女の美しさは千手観音の功徳以上に素晴らしいものではないだろうか。世紀に世紀を重ねて女体美は極まるところを知らない」

 いずれも東郷自身のことばであるが、このうちの女体の美しさは千手観音の‥‥ということばは東郷が製作した「女体礼賛」という作品に添えられたものである。この作品は仏像の源流をなすインドのエロチシズムが主題で、東郷特有の変幻する女体が画面いっぱいにひろがっている。

 東郷の裸婦のなかでもうひとつの圧巻は「脱衣」という作品である。文字どおり、若い女性が最後の下着を脱いでいるところを描いたものである。これも抽象画であるにもかかわらず、そこから醸し出される変幻する女体は具象画の比ではない。

「東郷の女性の扱い方には、日本の造園術や生け花を想わせるものがある。彼はランやバラの花をみるようにモデルをみて、その扱い方ときたら精巧極まりない。というのも、東郷青児は西欧風の日本画家であり、このふたつの世界の技術を完全に一体化することに成功したからである」

これはある著名な文学者の言であるが、事実、東郷は西洋画の礎のうえに大正期の日本の抒情画界を席巻した竹久夢二の絵画の発想とその技術を自分の絵画のなかに取り入れたのである。その背景には若き日の忘れえぬ体験があったのかもしれない。

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<裸婦> 伊藤悌三

 芸術は個性であるとはよくいわれることであるが、一見しただけでそれがわかるのが絵画の世界である。裸婦の世界もその例外ではない。わたしがそれを実感できるのは、伊藤悌三画伯の作品をみるときである。伊藤先生はわが国における裸婦の大家であり、数多くの名作をのこしている。

 先生の作品はいずれも明るく屈託のない若い女をモデルにしている。絵の基調をなすものは天性の明るさであり、それに光と影が投影されているのだ。わたしは画伯の作品をぱっと見ただけですがすがしい気持ちになる。そのような気持ちにさせてくれるところに伊藤作品の醍醐味があるといえる。

 伊藤先生の作品の場合、わたしにとってこれがいちばんだという作品はない。座像でも横たわる裸婦でも伊藤先生の筆になるものならば、すべての作品が好きだというのがもっとも的確な答えである。だが、そのなかでもあえて選別するならば、スペインの女性をモデルにした裸婦である。

 伊藤画伯はこよなくスペインを愛した画家としても知られている。若いころからスペイン女性をこよなく愛して、毎年のようにスペインに渡ってはスペイン女性を描きつづけてきたのである。モデルはすべて若い女性たちで、ときには美術学校のお嬢さんたちを好んで描いたといわれている。

 悲しいことに人間のからだは年齢とともにかたちがくずれていく。女性のからだも若いころが美しさの頂点にある。胸の形、腰の形、腿肉の張り方、すべてが生命にみちあふれている。画伯は美の頂点にある若い女性の美しさを追求しつづけてきたのである。それもスペインまで足を運んで‥‥。

 色と形の美しさを純粋に表現することが伊藤芸術の極みであるといわれている。それはとりもなおさず画伯にとっては、女性のからだを素朴に、そして誠実に描くことである。裸には親の代、その前の代から受け継がれてきた歴史がある。それも美しさの重要な要素なのだ。伊藤先生はその真髄をわが国ばかりでなく、スペインまで足繁く通い続けることによって見出したのである。

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<アポリネール礼賛> シャガール

 何が描かれているのかわからないけれど、気になる絵画というものがある。多くの抽象絵画がそれに該当するけれど、そのうちで、わたしが気になって仕方がないのがシャガールの絵画である。

シャガールの代表作といえば、妻と散歩しているところを描いた「散歩」という作品をおもい浮かべる人もいることであろう。これなどは妻が宙に浮いていて、かろうじて、シャガールとおぼしき男の左手と妻の右手だけが結ばれている不思議な作品である。

つぎにシャガールには彼に出身地を描いたといわれる「私と村」という作品がある。画面の右手には、帽子をかぶった男の横顔が、そして、左手の方には、牝山羊の顔が大きく描かれており、両者がにらみあっている。これも一瞥しただけで奇怪きわまる作品といえよう。

このふたつの作品をみただけでも、シャガールの絵画の特異性が浮かびあがってくるのであるが、はたして、シャガールは何を描こうとしたのであろうか。シャガールは自分の心のなか目をむけて そこに宿っている心象風景を絵画として表現しているのである。

この点に関して、シャガールは次のようなことをいっている。
「わたしたちの内面的な世界はすべてが現実なのです。おそらく目にみえる世界以上にそうなのです。理屈にあわないものをすべて非論理的とか、“ファンタジー”(幻想)とか、おとぎ話とか呼ぶことは、自然がわかっていないことを認めるようなものです」

 現在では、深層心理の世界の探求がすすんで、ファンタジーやおとぎ話も深い意味をもつことが立証されるようになったことをおもい合わせると、シャガールは深層心理学の先覚者のひとりであったといっても過言ではない。

 このようにシャガールが自分の心象世界を絵画としてあらわしてきたことがまちがいのない事実であるが、それではシャガールはその技量をどこで身につけていったのであろうか。ちなみに、シャガールはパリで活躍した画家であったけれど、パリに出てくるまでにも多くの作品をあらわしているのである。

 それにもかかわらず、シャガールがパリに出てこなかったならば、あの特異な作品は日の目をみなかったといわれている。たしかにシャガールの心象風景の基本をなすものは彼が生まれ育ったロシアである。だが、その表現手段はパリに出てきて多くの先輩たちから学んだのだ。

形態は多くに画家とおなじようにセザンヌを先祖として、ファーヴィスムやキュビスムの画家たちに学んだのである。色彩は彼の絵画をみれば、疑いの余地もないくらいに印象派の画家たちの薫陶をうけているのである。

それにシャガールの場合は、もうひとつ大きな影響を受けた人たちがいる。彼の絵画が詩的であるといわれるのも、その所以であるが、アポリネールをはじめとして、当時パリで活躍していた詩人たちの影響も受けていたのである。

そのうちの一枚の作品に「アポリネール礼賛」がある。これはシャガールには少ない裸婦を描いたものである。といっても アダムとエヴァが描かれているから裸婦はエヴァだけとなる。それも抽象画であるのでなかなか判別がむずかしいところがあるが、手に果実をもっているところと、乳房が描かれているのでそれがエヴァであることがわかる。

それにしてもこの作品もその特異性が光っている。大きな円のなかにアダムとエヴァが描かれているのであるが、この円がアダムの誕生からエヴァを通じて失楽園へと場面が展開してゆく。そして、アダムの末裔であるわれわれの世界になっていく、その全過程が鮮やかな色を交えた円で描かれているのである。

そして、決め手は、円のなかのアダムとエヴァの苦悩の表情である。それは禁断の実に手を出した人類の先祖の原罪を髣髴とさせる。聖書の創世記に語られているとおりの世界である。

それにしてもわれわれが裸婦を楽しむことができるのは、もとをただせばエヴァが禁断の実に手を出してくれたおかげであるといえなくはない。エヴァの功罪のどちらに該当するのであろうか。

ともあれ、シャガールはアポリネールのような詩人から多くのヒントを得て誰も描いたことのないこのような作品をものにすることに成功したのである。

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<幽玄のエロチシズム> 加山又造

 画集の扉をあけるとひとりの男の顔があらわれる。年のころなら50代のおわりのころであろうか、じつに味わい深い容貌をしている男である。おなじ芸術家であっても、どこか偏屈で、気難しい顔つきとは無縁で、細めに目をあけて、大きく口をひらいて、屈託のない笑顔をみせている。まったく気負うことのない自然な笑いである。そのうえ、髪はもしゃもしゃで、半纏のようなものを身にまとっている。そこからはいたって気さくな人柄がしのばれる。

 この画集のなかの男こそが加山又造画伯なのである。このような容貌や身なりの画伯から一時代を画した絵画が生み出されたことが一件奇異のようにおもえてくる。だが、思案するまでもなく、このように気さくで身構えない画伯だからこそ、余人には果たしえなかったヨーロッパと日本の美を融合させた独自の美術という偉業を達成することができたのかもしれない。

 加山又造の功績は多岐にわたっている。日本伝統の障塀画に挑戦をつづけて、あたらしい伝統を確立したかとおもうと、裸婦をとりあげて、幽玄なエロチズムを追求したり、さらには、あらたな観点から水墨画の世界を探求するなど、その活躍ぶりは、まさに「美の狩人」というニックネームで呼ばれるにふさわしい芸術家である。

 そのなかで、わたしがとりあげるのはもとより裸婦の世界である。加山又造が裸婦を世に問うたのは1974年のことで、年は47歳だったといわれている。裸婦を描くにはおそい出発だったかもしれない。しかし、それから6年間にわたって探求をつづけて、完成させたいわゆる「裸婦シリーズ」は長年にわたる画伯の画業のなかでも特筆に価するものである。

 加山の画集をめくると、はっと息をのむ二点の裸婦があらわれる。いずれも裸婦習作と名づけられた美しい線で描かれている裸婦である。一点は、バックが全面にわたって黒地の金箔で被われており、そのまえにひとりの裸婦が横たわっているという構図である。もう一点が、シルクスクリーンの手法で施された紺地に金の文様を刷る出した画面をバックにして、ひとりの裸婦がたっている構図である。

いずれの裸婦も気おくれすることなく、堂々と描かれており、よくバックの画面となじんでおり、じっとみていると目がくらみそうになるほどである。なぜこのような完成度の高い裸婦が「習作」であるのか皆目見当がつかないほどである。

さらにページをくくっていくと、そこにもはっとする裸婦の姿があらわれる。両面をつかった見開きのページのうえにはすけすけの黒い薔薇のレースをまとった4人の裸婦たちがたっている。レースのつけ方もまちまちで、全身がレースで被われている裸婦もいれば、からだ半分ははだかの裸婦もいる。わたしはこれまでにこのような絵柄の裸婦にお目にかかったことがない。

「黒い薔薇の裸婦」と名づけられたこの作品こそは、加山又造の個性がよく出ている作品である。加山の描く裸婦は美しいのである。だが、ただ美しいばかりではない。裸婦の属性であるエロチシズムが加山のもくろみどおりあらわれていて、観るものをたのしませてくれるのである。

 さらにページをめくると、そこにも二点の裸婦があらわれてくる。これも「裸婦習作」と題された作品で鳥の絵柄をバックにして、若くてすらりとした裸婦が横たわっている構図である。そして、もう一点が、「裸婦と猫習作」という作品で、こちらも目のきれいなすらりとした裸婦がソファのうえによりかかっており、そのかたわらには猫がいるという構図である。

 ふたつの作品に共通しているのは、裸婦たちに質量感がなく、ふわりとした面影をたたえた裸婦像に仕上がっているとろろである。これこそが加山が現代的な新感覚によって描いた裸婦であり、女性が本性的にもっている奥深くて計り知れない幽玄のエロチシズムを漂わせている作品である。

 加山又造の専門は日本画であるといわれている。わたしはそれを否定するものではない。しかし、画伯の裸婦には日本画にはない洗練された要素がある。それはたぶんにヨーロッパの美術から収集したものであろう。

加山の裸婦はすべて日本画の伝統である美しい線によって描かれている。その点ではあきらかにヨーロッパの画家が描いた裸婦とは一線を画すようにおもわれる。だが、「近代の序曲」を告げた作品といわれているマネの「オランピア」も正確なデッサンだけによって対象の立体感を表現しているのである。

そのようなことを考えあわせると、加山はヨーロッパの美術の吸収によって得られた造形と、伝統的な日本画が持っている造形とをよく溶けあわせて、そのうえに加山なりの日本人として感性を加味してつくりあげたのが、とりもなおさず、日本画にも洋画にもない加山又造なりの裸婦なのであろう。


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<裸婦> 藤島武二

「裸体画の中で、深く私の印象に残っていて、今もなお忘れられないもの」として、画家の藤島武二は、マネの「オランピア」をあげている。マネのオランピアといえば、パリいの町中で会うような少女をモデルにしたことで、世間の非難をあびた作品としてしられている。

 ヨーロッパにおける裸婦の歴史はルネッサンスにまでさかのぼる。そのなかにあっても多くの有能な画家たちが多くの裸婦像に挑戦している。官能の響きでは、オランピアなど寄せつけない作品が数多く存在する。しかし、それらの作品も表面上は神話か、歴史か、寓意などのよろいをかぶっているのである。ところがオランピアはそのようなよろいは一切脱ぎすてて、生身の少女をモデルにしているのだ。

 これだけでも当時のパリ画壇の非難を受けるのに、オランピアにはもうひとつ非難を受ける大きな要因があったのである。それは作品の表現性からくる差異である。それまでの作品は遠近法や明暗法などを駆使して、作品に陰影や肉付けがほどこされてきたのであるが、オランピアではそれらを放棄して、すなわち、奥行きを否定して、二次元の正面性を強調した描き方をしたのである。

 それでもオランピアをみればわかるとおり、マネが描いた裸婦にははっきりとした肉体のふくらみが感じられるのである。マネは正確なデッサンとクリーム色にかがやく肌の色彩の変化によってこの作品を描いたのである。

――もっとも簡単なるトーンがまた無限の働きをなしている。
 藤島はマネの絵画をこのように称している。藤島にはこの言に則って描いたとおもわれる作品がある。1917年頃に制作したとおもわれる裸婦である。

――大きく見よ、大体に注意せよ!
 これが藤島がマネから学んだ絵画の秘法であったようである。1917年ころの製作になるこの裸婦はこの秘法がよく生かされているのだ。色彩を抑制して、赤と黒とを効果的に配置する。調子を単純化して、それでいて、面的に正しく対象を把握して抽出する。それでいて肉体のみずみずしさをも表現する。

 この解説がそのままあてはまるのがこの裸婦である。藤島にとってマネをこえる師は存在しなかったのかもしれない。これはみたからにみずみずしい作品でみればみるほど心がなごむばかりである。

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<智・感・情> 黒田清輝

 ――わが国に裸体画を持ち込んだのは誰であろうか。
 それはわが国における西洋画のパイオニアとなった黒田清輝にほかならない。彼は9年間におよぶフランス留学を追えて帰国する。その黒田は留学中に一枚の裸婦を描いている。描かれているのはうしろ姿の裸婦で、正面をむいている姿は鏡にうつっているのである。「朝妝」(ちょうしょう)と題されたこの作品は当時のフランス画壇で流行していた裸体表現だったといわれている。
 
 留学をおえて帰国した黒田はこの作品を第4回内国勧業博覧会へ出展したのである。いまだルノアールの裸婦に接することのなかった日本画壇はこの出展作品による衝撃で賛否両論が巻き起こったばかりか、やがては裸体画論争にまで発展していくのである。日進月歩の勢いで深化をとげるフランス画壇を目の当りにしてきた黒田はわが国の画壇に風穴をあけるためにすすんで裸体画論争に挑んでいったのである。

――西洋画の基礎は裸体画にあり。
 これが黒田の信念であった。それもたんなる信念ではなく、当時のフランス画壇では、印象派の画家たちが世間から認知されており、あの豊満で色鮮やかなルノアールの裸婦をはじめ、多くの画家たちが西洋女性をモデルにしてそれぞれの裸婦像に挑戦をしていた時代なのである。

 やがて裸体画論争は学窓まで持ち込まれることになる。すなわち、黒田は東京美術学校の西洋画科でどのような人体を教えるかについて一任されていたのである。そこで黒田は裸婦を描くにあたって、モデルをつかったのであるが、それにたいして、すさまじいばかりの低次元の批判が巻き起こったのである。

 これにたいする反撃の意味をこめて制作したのが「智・感・情」という三部作からなる裸婦なのである。この作品は日本人をモデルにした最初の油彩による裸婦像としてもつとに有名である。

 この3部作の中央に描かれている<感>のポーズをとっている裸婦はその容姿から威圧的な趣が感じられる。それこそが黒田の反撃の証のようにおもわれる。また、なぜ黒田がこのような抽象的なタイトルをつけたのかは判然としないが、本人の言によると、画家の三派を意識してつけたもので、理想、印象、写実を、それぞれ、智・感・情にあてはめたものであるという。

 このようにこの作品は制作の動機において大きな意味を持っているが、それと同時に、この作品が歴史的に意味を持つのは、その造形上の実験にあるといわれている。すなわち、主題の象徴性と画面構成の装飾性を同時にねらったのである。写実的な人体に輪郭線を施し、背景を金地一色で塗りつぶすという冒険を行なったのだ。

 ともあれ、わが国ではじめて日本人をモデルにした油彩画としてのこの作品は、裸体画と印象派風の画風をわが国に持ち込むことに執念をもやした黒田清輝の功績とともに永遠に記録に残ることであろう。

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<孔雀と女> 安井曽太郎

 安井曽太郎の代表作のひとつに裸婦を描いた「孔雀と女」という作品がある。ふくよかなソファのうえに西洋人の裸婦が横たわっている。カーテンを背にして一匹の孔雀が描かれている。裸婦とその孔雀と向い合っている絵柄である。わたしはこの作品を目にしたときに、ふとレンブラントの名作「ダナエ」をおもい起こした。

 ダナエはギリシャ神話のヒロインである。ゼウスは黄金の雨に姿を変えて塔のなかに侵入して幽閉されているダナエと交わろうとしている。そのゼウスの愛を陶然として受け入れようとしている場面が描かれているのがレンブラントの「ダナエ」という作品である。

 この主題にはティツィアーノをはじめ何人もの有能な画家たちが挑戦しているが、レンブラントの作品が群を抜いているようにわたしにはおもわれる。その理由はいくつか考えられるが、大きな比重をしめるのがこの作品がそなえている品格である。それと同じ品格をわたしは安井曽太郎の「孔雀と女」に見出したのである。

 それほどまでにこの作品には筆舌につくしがたい品格が備わっているのである。その意味では、大家が描いた作品であるといっても決して不自然ではないのに、これがいまだ安井がパリに留学していた修行時代に制作された作品であるというからおどろきである。この作品については、安井自身が書いた説明文がある。それを抜粋してみよう。

――この絵は1914年の春パリで描いた。前年の秋イタリヤ旅行をした。イタリヤでは絵画よりも彫刻により多く興味をもった。‥‥‥ 製作中ギリシャ彫刻の美しさが忘れられず、終始頭の中にあった。

 隣の家が動物彫刻研究所で、色々の動物が飼われていた。孔雀もその空地を歩いていた。僕の方からそれが、間近に、よく見えたので、その孔雀を写生して裸女に取合せることにした。裸女と孔雀の取合せには別に何の意味もない。

 背景を庭園にして散歩の男女を描きいれたが、それは多少ともセザンヌの「二人の姉妹図」の散歩者からヒントを得た様でもあった。‥‥‥

 ‥‥‥「孔雀と女」は僕にとって、ただ一つのイタリヤ旅行の産物である。

 そういわれてみると、ほりの深い顔といい、起伏に富んだ姿といい、この作品の裸婦には、ギリシャ彫刻のなかのビーナスの片鱗がうかがわれるようにおもわれる。なぜ、孔雀を描いたかとなると、たまたま空地にいた孔雀を写生していたからだといっているけれど、安井は生涯にわたって装飾に気をつかった画家であったといわれている。ことによると、この頃から無意識のうちに装飾に対する気配りが働いたのかもしれない。

 たしかに背景には散歩している男女が描かれている。これも安井が写実主義の画家としてこよなくゼザンヌに傾倒していたことを考え合わせると、自然の成り行きとして理解できるところである。

 ともあれ、「孔雀と女」は安井にとってフランス滞在の最後の作品となったばかりか、内容からいっても留学の総仕上げとしても余りある作品である。安井の西洋での体験と彼の生来の天才性が相乗効果を発揮したからこそ、このような名作が生まれたのであろう。

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<きらびやかな裸婦> 梅原龍三郎

梅原龍三郎の裸婦に「黄金の首飾り」という作品がある。上半身だけであるが、裸の若い女性が右手で黄金の首飾りをかざしている絵柄である。わたしはこの作品を目にしたときには、「これはルノワールの裸婦だ!」とおもわず声をあげってしまった。ところがこれはまぎれもなく梅原龍三郎の作品だったのである。

だが、わたしがルノワールの作品であると錯覚してもあながち見当ちがいでもなかったのである。なぜならば、梅原はフランス留学時代にルノアールに師事していたからだ。ちなみに梅原龍三郎には、「横臥裸婦」という作品がある。この作品も豊潤な色感といい、筆触の切れ味といい、梅原の個性がよく出ている作品である。

しかしながら、この作品と前述の「黄金の首飾り」という作品を比較するとあきらかなちがいがある。「黄金の首飾り」はルノワールの裸婦を意識して描かれているのだ。その間の理由は容易に推察がつく。すなわち、いずれも梅原のフランス留学時代の作品であるが、「横臥裸婦」は、梅原がパリに着いた年の秋に当時パリに在住していた高村光太郎のアトリエで制作したものである。これにたいして、「黄金の首飾り」は梅原のフランス滞在の末期に制作された作品であるので、梅原はすでにルノワールの薫陶を受けていたのだ。

「わたしは女がいなかったら画家にはならなかった」と、ルノワールは公言している。その言葉どおり、ルノアールは生涯にわたって裸婦を描きつづけた画家である。その師匠のルノワールに劣らず、梅原龍三郎も最晩年にいたるまで裸婦を描きつづけてやまなかった。しかもふたりとも画風は豊潤な色彩の裸婦を描くところにあったのだ。

 だが、ふたりの裸婦を見比べてみると、あきらかなちがいがある。ルノワールの裸婦にはあまり色彩の変化はみられない。それにたいして、梅原の裸婦はそのときどきによって色彩がことなるのだ。ちなみに、「竹窓裸婦」という作品などは、窓外の竹やぶの色彩を意識して、椅子に座らせている裸婦のからだを緑と白で描いているのだ。

 さらに「裸婦扇」という作品では、緑と赤とを基調とした仰臥裸婦へと発展させている。そればかりか、この作品では裸婦の色彩ばかりか、室内の装飾にも一工夫を凝らしている。すなわち、桃山風の扇面を撒き散らした金屏風をバックにしつらえて、そのまえには緑の布を敷いたベッドがあり、そのベッドのうえには片手を頭上にのせた裸婦が横たわっている。しかもこの裸婦が緑と赤の輪郭線で彩られているのだ。

 この作品は桃山美術の絢爛豪華な装飾美の精華を自らの絵画のなかに取り入れようとした梅原龍三郎の意欲作といえるようであるが、いずれにしても、梅原は豊潤な色彩と奔放自在な画風とで東西の美を融合させた絵画を描きつづけたことで知られているが、裸婦もまたその例外ではなかったのである。

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<五人の裸婦> 藤田嗣治

 明治時代から現在に至るまで多くの画家たちが夢を胸に秘めながら芸術の都パリの地を踏みしめている。だが、夢と現実はちがうのである。大半の画家たちが展望のひらけないまま、パリの地をあとにしている。そのような状況下にあっても、この憧れの地でみごとに自らの夢をひらいた画家たちもいる。藤田嗣治もそのような画家のひとりである。

 目の肥えたパリ人たちを魅了した藤田の成功の秘訣はどこにあったのであろうか。それは自らが独自の手法で編み出した「乳白色の肌」という独特の絵肌にこそあったのだ。これは藤田が浮世絵からヒントを得たものといわれる。だが、乳白色の地肌をつくる技法は藤田自身が努力をかさねて考案したもので、藤田の専売特許といっても過言ではない。これが浮世絵のもつ官能性とむすびついて、パリの人たちから喝采をもって迎えられたのである。

 藤田はこの技法を取り入れて多くの作品を制作しているが、そのなかのひとつに「五人の裸婦」という作品がある。藤田がはじめて描いた裸婦群像であるが、ここでも主役の座を占めているのが「乳白色の肌」である。しっとりとした白い地をそのまま裸婦の肌としてつかっている。そのうえからごくうすい彩色がほどこされていて、乳白色の肌に色どりをそえている。見るからに品格のある色つやで、洗練されたパリの人たちの心を魅了するだけの価値をそなえていたのである。

 構図という点では、五人の裸婦たちはMの字を描くように配置されている。いずれの裸婦もその顔や体型からして西洋の女性たちをモデルにしている。そして、裸婦たちに布をもたせたり、耳に手をふれさせたり、口を指ささせたりたり、かたわらに犬を伴わせたり、それぞれの裸婦にひとつの役割を担わせている。

 五感という感覚で裸婦たちに統一性をもたせようとしたものらしい。だが、その点では必ずしも成功しているとはいえないようである。群像表現の醍醐味は、お互いに関係性をもたせながら複数の人物をひとつの空間のなかにうまく存在させることにある。その点からすると、この作品は人物同士が無関係で、ひとつのテーマのもとに統一がなされているとはいいがたい。

 ピカソに「アヴィニオンの娘たち」という作品がある。これも五人の裸婦たちを登場させた群像表現である。この作品もテーマの統一性となると、なかなかむずかしいものがあるが、五人の裸婦たちが一組になっているのがわかる。一組になって何かを訴えかけてくるのだ。関係性をもっているからそのような訴えかけがなされるのであろう。その点からすると、藤田の作品は裸婦たちがばらばらに配置されているようにおもわれてならないのだ。

 それでは、藤田の代表作のひとつであるこの「五人の裸婦」は価値がないものであろうか。わたしはそのようにはおもわない。たとえ、構図においては課題をのこしているにしても、この作品は見るものをひきつけてやまない魅力があるのだ。それは一にも二にも藤田が考案した「乳白色の肌」の威力にほかならない。それだけでもこの作品は偉大であり、これからも評価されつづけるにちがいない。

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<鍵穴からのぞく裸婦> ドガ

 ドガといえば、バレーやダンスを踊る踊り子たちの瞬間の動作をとらえた「踊り子」という作品を想起される人たちが多いのではなかろうか。ドガがめざした絵の試みは運動する人体をとらえることによって生活空間のなかに息吹を生み出すことであったのだ。

 その代表作が一連の踊り子を主題とした作品である。踊り子たちが足をあげて、ふりむく傾いた姿勢はいかにも不安定のようにおもわれる。しかし、その動作は次のステップにうつっていくための空間があたえられることによって、安定に向かっていくのである。ドガは不安定な姿勢に見えてもしっかりとした構造性をもっている絶妙なバランスの妙技を絵画のなかに持ち込んだのだ。

 わたしはドガの「踊り子」をみるたびにそれらの作品の革新性に驚かざるを得ないのである。「踊り子」はまさにリズムと諧調、形態の多様性の宝庫なのである。人体の動きといえば、古典的な素材でもあるが、ドガはその人体の動きをとおして、形の秘密に迫り、その形がたえまなくよみがえってくる可能性を追い求めたのである。

 ドガも絵画史のなかでは印象派の画家といわれている。しかし、ドガはモネやシスレーのように戸外へ出かけて、自然の光の刻一刻の変化に興味を示すことはなかった。彼はもっぱら室内の安定した光のなかで、人物の瞬間の動きをとらえることによってあたらしい絵画の可能性を追求したのである。それは光の革新性を追及したモネたちの絵画におとらず後世に大きな影響をあたえることになったのである。

 そのドガも多くの裸婦を描いている。ご多聞にもれずドガの描く裸婦はすべてが動きのある絵柄で占められている。たとえば、「浴槽に入る女」という作品では文字通り浴槽に入ろうとしている女のうしろ姿が描かれている。「盥の中で首をスポンジで洗う女」でも、「盥を洗う女」でも、ずばりそのままの女が描かれている。そらに「ソファで髪を梳いてもらう女」にしても、「化粧着を羽織る女」にしても解釈の余地のない女性が描かれているのだ。

 裸婦といえば、あらかじめ見る人を意識して描かれるのが常道である。だが、ドガの描く裸婦は見る人を意識することなく日常生活のなかで行なう女たちの自然の動作を描いているのである。女たちが衣服を身につけているならば、だれでも日常目にすることができる動作であるが、彼女たちは裸なのである。ドガの裸婦をみるたびにわたしは鍵穴から彼女たちをのぞいているような錯覚に陥るのだ。そこにドガの裸婦の醍醐味があるのかもしれない。

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<腕をひろげて横たわる裸婦> モディリアーニ

 わたしは竹久夢二の描く美人画が大好きである。その夢二の描く美人から衣服をとると、モディリアーニの描く裸婦になるような気がする。それほどまでにモディリアーニの描く裸婦はなんともいえない官能性をたたえているのである。

 その証拠となるエピソードがひとつのこされている。モディリアーニは生涯で一度だけ個展をひらいたことがある。ところはベルト・ウェイルというパリの画廊であるが、たまたまこの画廊の前が警察署であったのがモディリアーニにとって不運だったのだ。

 このときにショーウインドーに展示された裸婦があまりにも官能的であったのでそれをみるためにくろやまの人だかりができたという。そのさわぎをかぎつけて警察官があらわれて、せっかくの個展が「公序良俗」に反するという汚名をきせられて即刻中止の憂き目にあったのである。

 モディリアーニの裸婦には坐る裸婦と横たわる裸婦の両方がある。わたしはそのうちのどちらとも好きであるが、強いて好きな方をあげろといわれれば横たわる裸婦をあげる。横たわる裸婦のなかでどの裸婦がいちばん好きかと問われれば、「腕を広げて横たわる裸婦」であるとこたえる。

 なぜかと問われればいちばん官能性に富んでいるからであると躊躇なくこたえる。モディリアーニの裸婦は冒頭に述べたようにのっぺりとした顔に特徴がある。それに暖かみのある肌をしているところも特徴のひとつである。もうひとつあげるならば、手や腕や足の一部が額縁で切られているところである。それらが渾然一体となってあのような色気を漂わせているのである。

 モディリアーニの芸術の最大の特徴は色彩的というよりも線描的なところにある。もとより裸婦もその例外ではない。裸婦をかたちどっている線は起伏に富んで流れるようなリズム感に満ちている。そして、そのリズム感は感覚的でかつ官能性に富み、地中海的でルネッサンスの響きさえ感じさせる。それは彼がイタリア人であるからにほかならない。

 それにもまして、モディリアーニの芸術の根底に流れているものは彼がユダヤ人であることからくる悲哀感、孤独感であるとの説があるが、大いにうなずけるところがある。それがなければおなじ官能性にしても、多くの人の心をとらえてはなさない裸婦にはなりえるはずがない。

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<水浴図> セザンヌ

 久しぶりにセザンヌの画集をひらくと、そのなかのひとつひとつの作品があらたな息吹をともなって迫ってくる。
――セザンヌほど立派な画家はいない。
 これが彼の画集を閉じたときのわたしの実感である。

  事実、セザンヌほど20世紀の美術に影響を与えた画家はいないといわれている。それが彼の画集をひらくことによって実感として感じられるのである。それならば、どういう意味で偉大なのであろうか。それにはふたつの要素がある。形と色彩である。
 
 まず、形はどうであろうか。この点では、なによりも、セザンヌの作品をみれば、一目瞭然である。彼の代表作のひとつに「温室のなかのセザンヌ夫人」という作品がある。一見してわかることは「風変わりな絵」だということである。

 この風変わりな絵も仔細に観察すると大変大きな意味をもっているのである。まず、頭部はあきらかに卵形を意識して描かれている。おなじように、胴体はいわゆる円錐のうえにしっかりと据えられている。さらには、首や両腕に目をうつすと、それらはあきらかに円筒をおもい起こさせるのだ。

 セザンヌが絵のなかで追求したものは、描こうとする目のまえ画題が本質的にどのような構造をもっているかということである。セザンヌは印象派の先覚者であるモネたちが光の反射や大気の振動に固執するあまり、画面から形態と構図を見失ってしまったことに不満を感じていたのである。感じていたばかりか、セザンヌは一貫して絵画の造形性にこだわりつづけて、独自の形態を編み出したのである。

 その記念すべき作品が「温室のなかのセザンヌ夫人」なのだ。彼の努力の成果がのちのピカソなどによるキュビズムに結びついたのである。この意味だけでも、セザンヌはあきらかに20世紀の芸術の先導役をはたしたといえるのである。

 それだけでも偉大なのに、セザンヌの天才性はそれだけにとどまらない。これも彼の作品をみるとあきらかである。すなわち、ゼザンヌにはもう一枚夫人を描いた有名な作品がある。「赤い肘掛椅子のセザンヌ夫人」である。この作品には陰影がほどこされていない。しかし、よみみると陰影がほどこされているのである。

 従来とはちがった手法で陰影を施しているのだ。それはこの作品の顔の部分をみるとはっきりとわかる。膨らんでいる部分は赤色がかった色彩で、引っ込んでいる部分は青の色彩をもちいることによって顔の立体感を出しているのである。セザンヌは印象派の先達が編み出した色彩の用い方をさらにひとつ発展させていたのである。

 もうひとつセザンヌの作品をみていて気づいたことは、絵柄が多岐にわたっていることである。もとより、彼の風景画はつとに有名である。同時に肖像画をはじめとして人物画においても後世に名を残すような作品を数多く残している。それならば裸婦はどうかというとこれもセザンヌならではの裸婦が画集のなかにもおさめられている。

 具体的には、「水浴図」と別称されている一連の群像裸婦である。いずれの作品も木々の生い茂る泉のなかで全裸の何人かの女性たちが日光浴か水遊びに興じているところを描いたものである。作品の主題は「人体と風景との調和」のようであるが、想像されるものからみられるものへという近代絵画の傾向に逆らうように、いずれもセザンヌが頭のなかで創造した作品である。ここにも当時の風潮には染まらないセザンヌの進取の気性があらわれているようである。

 だが、色彩だけはあきらかに印象派の影響を色濃く残している。そのなかのひとつに「
三人の浴女たち」という作品があるがこれなどは裸婦をはじめ画面全体があざやかな色彩で彩られている。そのせいかこの作品は例のマチィスが自らの絵画の参考にするために個人的に所有していたといわれている。

 画集のなかには、このほかにも、いくつかの「水浴の女たち」とか、二枚の「大水浴」という作品が掲載されている。このなかで、わたしはフィラデルフィア美術館が所有している「大水浴」という作品に魅かれる。画面の左右には、太い樹木がどっしりと描かれており、その樹木のなかに多くの全裸の女性たちが配置されている。彼女たちはおおまかに左右にわかれているが、それぞれピラピッド形を構成している。

 この作品は晩年のセザンヌが7年の歳月をかけて完成させたといわれるだけあって、構成の雄大さといい、色彩の鮮やかさといい、まさにセザンヌ芸術のひとつの到達点をみるようなおもいにかられる。 


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<思春期> ムンク

 多くの絵画はわれわれに安らぎをあたえてくれる。わたしもこれまでに多くの絵画によって安らぎを与えられてきた。だが、まれには不安にかられる作品がある。ムンクの作品がその典型例といえよう。

 ムンクの絵画のなかで、だれもが不安をあおられる作品といえば、例の「叫び」であろう。そこまではいかないにしても、みるものに独特な不安を抱かせる作品が「思春期」である。

 ひとりの裸の少女がベッドの縁に腰をおろしている。髪を大きくうしろに垂らして、両手を膝のあいだにはさんで、じっと前方を目つめている。そのまなざしはいかにも不安げである。というよりも、なにかにおびえているような感じさえうけるのだ。

 顔だけをみると、あきらかに少女の名残りがのこっている。だが、からだをみると、やせてはいるものの、すでに一人前の女性の域に達している。その彼女の背後の壁には不吉な魔物のような影がゆらめいている。

 なにか不安のうわのりをしているようである。この影がなくとも、彼女の表情だけからも必死になって不安をとおりこして、なにかにおびえていることがわかる。彼女はいったいなににおびえているのであろうか。

 それを解くカギは彼女の顔とからだにあるといえよう。彼女の胸や腰をみるとわかるように、からだはすでに大人の仲間入りをしている。それにくらべて、まだ彼女の顔は乙女の名残りをのこしているのである。

 一言でいえば、彼女は子どもから大人になりかけている。いままでとはちがった未知に世界に足を踏み入れようとしている。それは彼女が生まれてはじめて経験することなのである。その不安が彼女をおびえさせているのだ。

 少女が成長して一人前の女性になることはどのような女性でも経験することである。だが、そこに不安を感じる度合いは人によりまちまちであろう。ムンクの場合は感受性が人一倍強く、普通の人間ならば、さして不安にならないことも、不安に感じたのである。

 その証拠があの「叫び」の表情であり、表題の「思春期」の表情なのである。そのムンクの不安をつきつめていけば、生命そのものに対する不安にゆきつく。この作品を描いたころのムンクは生命の不安にとりつかれていたという。そんなムンクだからこそ、このような傑作を世におくることができたのである。


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<醜の美> ルオー

「ルオーはなぜこんな醜い裸婦を描いたのであろうか」
 これがルオーの「鏡の前の娼婦」という作品を見たときのわたしの偽らざる心境である。両手を頭のうえまであげて髪の手入れをしているらしい姿が描かれている。もちろん娼婦は全裸である。髪には赤い飾り物がほどこしてある。その娼婦の姿が鏡にも映っているのである。

 本物の娼婦も見たからに醜く描かれているのに、その醜い裸の女をまた鏡に写させているのである。わたしはおもむろにルオーの画集のつぎのページをめくってみる。「娼婦」という作品である。そこにも顔をそむけたくなるような裸婦が描かれている。

 こちらも顔が醜いばかりか、からだがぶよぶよでおなじ娼婦でも身を売りつくしてもなお生活のために身を売っている娼婦を髣髴とさせるような裸婦なのである。ここでも、わたしはなぜルオーはこのような裸婦を描きつづけたのか、という疑問にとらわれた。

 わたしは解説を読みすすんでいくうちに、「醜の美」ということばに目がとまった。
――これによると、ルオーはできるだけ醜く描くことによって美を具現しようとしたのではないか。
 わたしのひらめきは少しは的を射ていたようである。

 ルオーにとって芸術とは、表現することにあるのだ。それも醜いもの、恐ろしいもの、苦悩するものを表現することなのだ。どのような醜いものでも、どのような悲劇的なものでも、自分の描いた絵を鑑賞するものたちが、心を動かせば、ルオーにとってはそれだけで美しいものになるのだ。

――ルオーは女の乳房をつぶし、腹を裂き、足をねじり、顔を凹凸にし、それらすべての上に、あらゆる血の赤とあらゆる腐った緑とでできた毒を含んだ色彩を塗りたくった。
 ルオーの裸婦はこのようにむごい批評もされた。だが、それはルオーが描いた裸婦を見れば的はずれでもなく、見た者の実感でもある。

 そんな批評にもルオーはめげることがなかったであろう。なぜならば、ルオーは確固とした信念のもとに作品に挑戦していたからである。要するに、ルオーが表現しようとしたものは、娼婦たちに対する憎悪ではなく、醜悪な人間社会の底辺のなかで、生贄となってしか生きてはいけない人たちにたいする熱い同情心だったのだ。

 ルオーは信仰心の厚いクリスチャンであったのだ。
――娼婦はいちばん先に神の国を知るであろう。
 娼婦を描くときのルオーの頭のなかには、このような聖句が浮かんでいたのかもしれない。ルオーにとっても娼婦はまた天使であったのであろう。それをできるだけ醜く描くことによって表現したのであろう。


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<ダンス> マチィス

 ピカソの「アヴィニオンの娘たち」とならんで、裸婦の歴史ばかりか、絵画の歴史を塗り替えたもうひとつの作品がある。それこそがマチィスの「ダンス」という作品なのだ。裸の女性たちが手をつないで輪舞している情景が描かれているのであるが、この作品にはまったくの奥行きが感じられない。それこそが最大の特徴である。

 西洋絵画の歴史を紐解くと、描く対象をいかにして現実に近づけるか、それこそがルネッサンス以来、数多くの有能な画家たちの目指すとことであった。遠近法や明暗法を駆使して、少しでも本物に近い表現ができるようにしのぎを削ってきたのである。

 そのながい西洋絵画の歴史に楔をうったのがモネをはじめとする印象派の画家たちであり、キュービズムの幕開けをつげたピカソであった。それにもうひとりつけ加えるとすれば、フォーヴィスムの代表者のひとりであるマチィスなのである。

 そのマチィスの作品のなかでも、表題の「ダンス」はきわめて画期的な作品である。なぜならば、マチィスはこの作品によって、固有の作風が確立したばかりでなく、彼の芸術の特質もこの作品のなかに凝縮されているからである。

 この作品の特徴のひとつは、いちじるしいまでの単純化と平面的な表現にあるといえる。画面は空と地面と裸婦たちの三つの部分に区分され、青、緑、朱色によってひらたく塗りこめられている。マチィスは虚構の現実感よりも、画面そのものの実在感に重きをおいたのである。

もうひとつの特徴は人物の動きである。「ダンス」の直接の源泉は「生きる喜び」にあるとされているが、それが踊る裸婦たちの激しい動きによって、端的に視覚化されているのである。「ダンス」には、習作ものこされている。それと表題作とを比較してみると、後者の方がより運動感が強調されているのがわかる。

 ともあれ、マチィスの「ダンス」という群像裸婦は20世紀初頭における画期的な作品であるばかりか、現代美術に与えた影響は極めて大きいといわれている。


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<ウルビーノのヴィーナス> ティツィアーノ

 裸婦の代表的な構図といえば、なにをおいても横たわる裸婦が想起される。それほどまでに、横たわる裸婦は魅力のある構図といえるが、その起源をたどると、ヴェネツィアの絵画にゆきつく。この時代を代表する画家にジョルジョーネとティツィアーノがいる。そして、この二人の画家の代表作品には、それぞれ名作の誉れの高い裸婦が名をつらねている。起源はこのふたつの作品にゆきつくのだ。

 ジョルジョーネの作品が「眠れるヴィーナス」で、ティツィアーノの作品が「ウルビーノのビーナス」である。このふたつの作品にはいくつかの点で類似しているところがある。どちらの作品も横たわる裸婦であるが、それにもましてそっくりなのが横たわる裸婦の具体的なポーズの取り方である。いずれも豊満な肉体の裸婦がながながと足をのばして横になっている。そのポーズのとり方がおどろくほどよく似ている。左手の置き方や足の組み方までもがそっくりなのである。

 それもそのはずでこのふたりの巨匠は切っても切れない関係にあるのだ。ヴェネティア派最大の巨匠であり、色彩の魔術師とまでいわれるティツィアーノはじつはジョルジョーネの助手としてつかえたばかりか、「眠れるビーナース」の制作にも加わっている。そのうえ、ジョルジョーネが夭折したあとは、彼の画風を受け継いで、ヴェネティア派の指導的な画家にまでなった人物なのである。

 だが、仔細に観察するとふたつの作品には、かなりの差異がみられる。その第一が裸婦と背景の関係である。ティツィアーノの作品の場合は遠景に景色もみられるが、基本的に室内であり、ほとんど違和感がない。これに比べて、ジョルジョーネの作品の場合は横たわって眠っている裸婦であるのに、その背景が屋外の景色なのだ。

これはほかの裸婦にはみられない試みである。裸婦の豊かな裸体美に広々と風景を併置させるというアイデアは、主題の拘束から離れてあたらしい芸術を追求しようとしたジョルジョーネの進取の気性に由来するといわれている。これによって、快いエロチシズムと風景美の調和をはかろうとしたのであるが、画家の意図はそれなりの効果を発揮している。

 だが、わたしにとって、絶対的ともいえる差異は、「眠れるヴィナース」が快いエロチズムであるのにたいして、「ウルビーノのヴィーナス」が官能のエロチズムであるという点なのだ。それは両作品の顔をみくらべれば一目瞭然である。「眠れるヴィナース」が文字どおり目を閉じているのにたいして、「ウルビーノのヴィナース」は魅惑に満ちたまなざしをして誘惑の手を差し伸べてくる。すくなくとも、わたしには、そのようにおもわれて仕方がない。

 裸婦の魅力はどこにあるのであろうか。観賞する人によってちがいがある。それは当然のことであるが、わたしの場合はどうしても官能性を優先させたい。裸婦の魅力は官能性にあり、といっても過言ではないのだ。その観点から「眠れるヴィナース」と「ウルビーノのヴィナース」のどちらが好きかとなると、おのずと答えははっきとしてくる。

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<サルダナパールの死> ドラクロア

 こんな惨い裸婦が描かれた絵をわたしはみたことがない。それほどまでにこの作品はわたしの心をゆさぶった。それが「サルダナパールの死」というドラクロアの作品である。一枚の大きなキャンバスのうえに凄惨をきわめた破壊と虐殺の情景が天才ドラクロアの手によって描き出されている。そのなかでわたしの目をとらえてはなさないのが、主人公のサルダナパールよりも虐殺されていく裸婦たちの姿なのだ。

 アッシリアの国王であったサルダナパールは典型的な専制君主であったばかりか、「わたしは、食べて、飲んで、楽しんだ。それ以外のことはすべてなんの価値もないと考えつづけてきた」といってはばからない人物であったといわれている。その専制君主が放蕩三昧な生涯の末に、ついには国民の反乱を招いたのである。そして、いまや反乱軍は宮殿にまで侵入して火を放った。

 この期に及んでサルダナパールは部下に命じて自分が寵愛した女たちをサルダナパールが横たわっている寝室に集めて全裸にさせたうえでつぎつぎと彼女たちを殺害させていくのである。部下たちは全裸の彼女たちをとらえて、ひとりひとりの胸に刃をさしていく。この残忍な場面をまえにして、サルダナパールは大きなベッドに寝そべって何事もなかったように冷ややかにながめている。「サルダナパールの死」はそのような情景が描かれているのである。

 ドラクロアは色彩の豊かな想像力によって、絵画表現の可能性をひろげた画家として知られえている。その代表作のひとつがこの「サルダナパールの死」である。この作品では、赤、オレンジ、黄色を中心とした強烈な色彩が惜しみなく用いられている。それでいて、そんなに違和感がない。それはドラクロアの手にかかって、統一のある画面にまとめあげられているからにほかならない。

 サルダナパールは自分が死ぬまえに自らが寵愛している女たちを殺させたというエピソードがのこっている。ドラクロアはこのエピソードにヒントを得て、この作品を完成させたといわれている。だが、具体的な絵柄になると、すべてがドラクロアの想像力によってつくりだされたものである。苦しみと憤激とが渦巻いている阿鼻叫喚の場面が描かれているなかにあっても、圧巻はつぎつぎと命をうばわれていく裸婦たちの姿なのだ。苦悩と恐怖とで、くねりまがる肉体、ひれ伏す肉体、力がみなぎる肉体と、そこに描かれているのはこれまでに誰も描いたことのない群像裸婦なのである。

 わたしがこの作品をはじめて観たのは普通の画集であったが、それでも、その殺戮の現場に立ち会っているような錯覚をおぼえた。それは鑑賞する者との距離を感じさせないように裸婦の殺戮されるところが画面いっぱいに描かれているからであろう。それからくらべると、主人公のサルダナパールは目立たないように上のほうに描かれている。この作品が類まれなリアリティーに満ちた作品に仕上がっているのは、なにをおいても、ドラクロアの類まれな色彩感覚と卓越したアイデアにもとづく流動的な表現なされているからである。

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<グランド・オダリスク> アングル

 裸婦の定番といえば「横たわる裸婦」を想起されることであろう。ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」にはじまって、ゴヤの「裸のマハ」、マネの「オランピア」とみな横たわる裸婦であるばかりか、いずれも傑作のほまれのたかい作品である。そのなかにもうひとつ加えるとすれば、わたしは一も二もなくアングルの「グランド・オダリスク」をあげる。

 アングルといえばドラクロアがロマン主義を代表する画家であるのに対して、新古典主義を代表する画家であるといわれている。また、フランス人でありながら18年もの長いあいだイタリアに留学したこともあって、ラファエルロに深く傾倒した画家としても知られている。それにふさわしく、アングルの画風は色彩よりもデッサンを重視すること、安定した画面構成にすること、このふたつにあるといわれている。

 その観点から、「グランド・オダリスク」を鑑賞すると奇異な感じをうける。まずわれわれの目に入るのはいかにも伸びやかな肢体である。圧倒されるような臀部である。だが、これらの魅惑的な肢体も入念に観察してみると、不自然であることがわかる。おなじようにすらりと伸びている右手も魅力がある。だが、これも現実離れしている。それでいて、この裸婦はなんともいえない官能美を醸し出している。

 その官能美に彩を添えているのが、片目だけがはっきりと描かれているターバンをかぶった横顔であり、両足を組み合わせて片肘で体重を支えているポーズなのだ。そのうえ、この名作は独特な雰囲気をもっている。全体の構図自体は西洋絵画のなかの裸婦像であるが、そこに描かれているのはいかにも東洋的なのである。ターバンにしても、手にもっている小道具にしても、裸婦のまわりにちらばっている小道具にしても、西洋絵画の裸婦にはみられないものばかりなのだ。

 このように観察していくと、この名作は本来伝えられているアングルの画風とはまったくちがったもののようにおもわれてくる。たしかにアングルの名作のなかには心の師であるラファエルロの薫陶をうけて、あるいは新古典主義の代表者にふさわしく、デッサンや画面構成を重視した作品も残されている。その反面では、この「グランド・オダリスク」のように自らの画風をすてて、故意に人工美の極致のような作品も描いているのだ。

 そのようなこともあってか、アングルははたして新古典主義を代表する画家なのであるか、それよりもロマン主義的な画家なのではないのか、といった議論があるようだが、わたしにとってそれはどちらでもよくほとんど興味がない。それよりも、「グランド・オダリスク」が好きか嫌いかと問われれば、それこそ一も二もなく好きだとこたえる。なぜかと問われれば、エキゾチック官能美をたたえた作品であるばかりか、裸婦でありながら極めて品格のある作品だからとこたえる。


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<ネヴァモア> ゴーギャン

 ぱっと見ただけでその絵から目が離せなくなった。そればかりか、胸騒ぎ起きてどうにもとまらない。わたしにそんな体験をさせてくれた一枚の作品がある。それがゴーギャンの「ネヴァモア」なのである。ひとりの若い女性が全裸のままで横たわっている。決して美しい女性ではない。欧米人でもない。ごついからだつきである。なかでも腰の部分がいちだんと盛りあがっている。その容姿からして、東洋系でしかも南洋の未開の地の女性らしい。独特の色彩で彩られたその裸婦がわたしの目ばかりか、心をもとらえてゆさぶりつづけたのだ。

 ゴーギャンはタヒチの女性をモデルにしてこの作品を描いたのである。もともとゴーギャンは印象派の画家から多くのことを学んだ。だが、それは色彩についてであって、絵柄はまったく学ぶところがなかった。なぜならば、印象派の画家たちが目を向けたさきはあくまでも自然が対象であったからである。ちなみにゴーギャンのことばを借りれば、「印象派の画家たちは、自分たちの目の周囲ばかり探し回っていて、思想の神秘的な内部まで入り込もうとはしない」ということになる。

 ゴーギャンにとっての絵の世界は、たんに見えるものをそのまま再現するのではなく、目に見えない世界、内面の世界、魂の世界を探求することである。その具体的な作品のひとつが「ネヴァモア」なのである。だから、この作品でも色彩においては印象派の影響をうけているが、絵柄は影響のかけらも受けていないのだ。

「遠いところからやって来て、遠いところへ行ってしまう人間なのだ」
これはフランスのアルルでゴーギャンと生活をともにしたことのあるゴッホのことばである。そのゴッホの予言どおり、ゴーギャンは遠いところへといってしまうのだ。ゴーギャンが選んださきがタヒチである。なぜ、ゴーギャンは多くの人たちがあこがれてやまない華の都パリをあとにして、未開の地に足を踏み入れたのであろうか。

 当時のヨーロッパは産業革命の恩恵をうけて多くの富がもたらされていた。だが、ゴーギャンの目にはそのような繁栄は表面だけのことで、それに浮かれているのは愚の骨頂のようにおもわれた。ゴーギャンの目的はあくまでも魂の探求にあった。そのゴーギャンが向かった先がいまだ近代文明におかされていないタヒチであった。だが、ゴーギャンにとっては、このタヒチの地ももはや別天地ではありえなかった。彼がそこで見たものは確実に押し寄せてくる西洋文明の影である。

 それでもゴーギャンはここを終の棲家として自らの芸術の花を咲かせていった。それも貧困と病気に戦いながら‥‥。その苦労の結晶が「われら何処より来たるや、われら何ものなりや、われら何処に行くや」や表題作の「ネヴァモア」なのである。これらの作品に接していると、目に見える現実とはちがって、人間存在の不思議さに誘われていくのである。その魂の世界を提供してくれるゴーギャンはやはり天才にちがいない。

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<赤いトルコ風のスリッパの裸婦> ボナール

 ナビ派の巨匠であるボナールに「赤いトルコ風スリッパの裸婦」という作品がある。浴室のなかで全裸になった老齢の夫人が赤いスリッパをはいているところが描かれている作品である。モデルになっている夫人が63歳になるボナール夫人のマルトなのだ。

 ボナールにとって裸婦は彼の生涯にわたる画業のなかで中核を占めるテーマであったが、それよりも、わたしにとっての関心の的はもっぱらボナールとそのモデルとなったマルトとの関係である。1893年にマルトと出会ってからのボナールは生涯にわたって飽くことなく彼女を描きつづけたばかりか、1942年にマルトがこの世を去ってからも彼女をモデルとして描きつづけたのだ。

 そのなかでボナールが好んで描いた裸婦が表題の裸婦をふくめて、一連の「入浴する裸婦」たちである。モデルはすべてマルトなのだ。それなのにマルトがポーズをとっている作品は一枚として存在しない。不自然な格好でシャワーを浴びているところとか、バスタオルを手にして入浴しようとしているところとか、おそるおそる足の先を浴槽のなかに入れようとしているところとか、浴槽のかたわらで裸のままで靴下やブーツをはいているところとか、マルトが無意識のうちに行なっている瞬時の動作を描いているのである。

 浴室のなかでのちょっとしたマルトの仕草が芸術家ボナールの感性をことのほか刺激したのである。マルトもそれをよく心得ていて、ボナールの心を高ぶらせるイメージを提供しつづけるのだ。ボナールはマルトがあらわす瞬時の美をすばやくスケッチしたり、写真に撮ったり、心の記憶におさめたりしてから、あとでアトリエに入ってゆっくりとキャンバスのうえに再現する。再現の過程では、色彩の魔術師の手によって、かぎりなく官能的に、かぎりなく肉感的に芸術的な加工がほどこされていく。

 完成した裸婦はもとよりマルトそのものではない。ボナールの頭のなかで咀嚼されて、達人の手を通して色づけされた芸術作品である。そこにあらわれた裸婦たちは光の色につつまれ、浴室のなかの色彩とよく調和して、ボナール特有な世界を現出せしめている。それはだれの目にもボナールの作品であることが疑う余地がない。それほどまでに個性的な作品だからこそ、われわれはボナールに魅かれるのであろう。

 ボナールは50年ものながきにわたってマルトを描きつづけた。マルトはボナールの作品のいたるところに顔を出している。ときには、家のなかで忙しくしているところとか、ただぼんやりと椅子に坐っているところとか、伴侶としてのマルトとして登場している。その一方で、マルトは愛人としても重要な役割をはたしている。それが裸婦なのである。ボナールはマルトをモデルにして数多くの裸婦を描いている。それもながい年月にわたっている。それらの作品をみると、ボナールの絵の変遷とともに、マルトの年齢の移り変わりがわかって興味深いものがある。繊細でしなやかな肉体からややふとめの肉体にかわるまでじつに30年もの年月が経過しているのだ。

マルトがそんなにもながいあいだボナールのモデルであるつづけたことも一種の奇跡のようにおもわれるが、それにもまして、ボナールをしてそのようになさしめたのは、なによりもボナールのマルトにたいする愛情の深さにあったのではなかろうか。その証が死後も彼女を描きつづけたようにおもわれる。

わたしはあらためて表題のボナールの裸婦に見入った。63歳になったマルトが描かれているのである。肉体的にはさほどの魅力はない。が、それでいて魅力にみちている作品なのだ。愛情がみちあふれているからなのであろう。


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<オランピア> マネ

 一見しただけではなんらの感興がわかない絵画であっても、何回となく観ているうちに、あるいは、描かれた背景なりがわかってくるうちに、徐々に味わいの深い絵画であることがわかってくる作品がある。わたしにとって、マネの「オランピア」はそのような作品なのである。

 「オランピア」のモデルは街中のどこにでもいる女性である。マネはその女性をモデルにしたのだ。マネがこの作品を世の中に問うまでの裸婦はどのような官能的な裸婦であっても、その背後には神話や歴史や寓意などを背負っていたのである。それがいくら見せかけの衣であっても、そのおかげで鑑賞者たちはお互いに奇異な目で見つめあうことなく裸婦のもつ真価を鑑賞することができたのである。

 ところが、裸婦でもこれがどこにでもいる若い女がモデルとなると話が一変してしまうのだ。その当時の人々にとっては、どこにでもいる女性を裸婦として描くことはタブーであったのである。そのうえ、マネには前科があったのだ。「草上の昼食」という作品でちゃんとした衣装を身にまとったふたりの男のなかに、ひとりの裸の女性を登場させたのである。それだけでも、かなりの非難の的になったのに、こんどはおなじ女性をこともあろうにベッドの上の裸婦として堂々と登場させたのだ。

 その結果、「オランピア」は、恥知らずとか、卑しいとかの非難にあったばかりか、罵倒をあびせかけながら、ステッキでなぐりかかるものまでがあらわれたのである。マネは二度もタブーを犯したのである。

 「これはなんと貧相な裸婦なのだろうか」
 これが「オランピア」をはじめてみたときのわたしの実感である。ゴヤの「裸のマハ」をはじめてみたときのような感動がわいてこないのである。ゴヤのほうが半世紀もはやくこの作品を描いているのに、それよりもはるかに洗練されていなければならないマネの作品には官能のひびきが伝わってはこないのだ。

 それでいて、この「オランピア」はわたしの心の片隅に居座りつづけていたのである。その証拠にこの作品を目にすると、そのまま素通りすることができずに、その都度、しばらく対面することとになるのだ。そうこうするうちに、この作品のデッサンの確かさにわたしは目を向けるようになっていた。同時に、解説書などもみるようになった。

 そこでわったことは、マネは故意にこのような裸婦を描いたことである。どこにでもいる女性を裸婦として登場させたことも、もとよりそのあとの絵画の展開を考えると、大きな意味があったのであるが、それよりも「オランピア」の貢献度はむしろその特有な造形性にあったのだ。

 それまでの作品はおしなべて、裸婦のもつ肉体のまつみやふくらみをあらわすために、遠近法や明暗法、さらには、肉付法を駆使して描かれているのであるが、マネはこれらの技法をすべてなげすてて、正確なデッサンだけによって、裸婦の立体感をあらわしたのである。「オランピア」は明確な輪郭線と平坦な色面とによって描かれているといっても過言ではないのである。

 このような観点から「オランピア」とみつめなおしてみると、それまでにはなかった感興がわいてくる。「オランピア」は絵画の幅をひろげるという意味で、多大な貢献をした作品なのである。


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<アヴィニオンの娘たち> ピカソ

 あなたは、これまで観た絵のなかで衝撃を受けた作品をひとつだけあげろといわれたら、なにをあげますか? わたしはためらうことなく、ピカソの「アヴィニオンの娘たち」をあげます。この作品を一瞥した瞬間わたしはみてはならものをみてしまったような衝動にかられて、画集から目をそむけました。

 もう一度おそるおそる目をむけなおしてみると、五人の裸婦たちのうちの真ん中のふたりの裸婦がするどいまなざしでわたしを見つめているのです。そればかりか、ひとりの裸婦が片手を、そして、もうひとりの裸婦が両手をあげて、するどいまなざしとともに、魅惑にみちたポーズでわたしを挑発しにかかってくるのです。

 それでいて、奇異な感じをうけるのです。裸婦たちは正面をむいているのに、鼻だけは横向きで片側に押しつぶされているのです。裸婦たちには陰影がほどこされることなく、平坦で単純に描かれています。胸のふくらみは描かれてはいるものの、線でかたちどってあるだけにすぎません。裸婦に特有の肌のまるみや柔らかさも感じられないのです。

 それでもこのふたりの裸婦はまだよい方で、右側に描かれているふたりの裸婦に目を向けた瞬間わたしは本能的に視線をそらしていました。それほどまでにふたりの裸婦は奇怪な姿をしているのです。そればかりか、顔が故意に醜く描かれているのです。

それは顔をつくっている目や鼻や口などをいったんバラバラにしてから、正面からみえるように組みなおしているようにおもえるのです。それまだよい方で、この裸婦はからだがむこうをむいているのに顔だけは正面をむいているのです。

 わたしは左側の裸婦に目をむけてみました。そこには片手をあげながら、真ん中のふたりの裸婦のもとへ歩み寄っているひとりの裸婦が描かれています。この裸婦は横向きに描かれているのですけれど、おかしなことに、眼だけは正面をむいているのです。

 わたしにとって、「アヴィニオンの娘たち」はなんとも形容しがたいグロテスクな絵なのです。すでにこの作品を目にしてからかなりの年月がすぎていますけれど、いまだにこの絵はわたしの心のかたすみに焼きついていて離れようとはしません。それもそのはずで、当時のピカソのアトリエを訪れて、この作品を目にした友人たちは、ピカソはそのうち首をつるであろうと囁きあったといわれているくらいですから‥‥。

いったい絵の魅力とはどのようなものでしょうか? そう問われれば、こたえる人たちによっていろいろな回答があるでしょう。そのなかで、わたしには、鑑賞する人たちにどのくらいインパクトを与えることができたかという尺度がきわめて重要なようにおもわれます。

 ルネッサンスの画家たちが心血をそそいだのは、いかにして本物らしい絵を描くかということでした。それ以来、五百年もの長きにわたって、多くの画家たちが本物らしい絵を描きつづけてきたのです。それにたいして、アンチテーゼをつきつけたのがまさにピカソであり、その記念すべき作品が「アヴィニョンの娘たち」であったのです。

「わたしは正面にみえる対象を描いているのですけれど、いつもその裏側にあるものも描きたいという衝動にかられています」
 これはある著名な画家の述懐であるといわれていますが、それをピカソは一枚の絵のなかで実現したのです。「アヴィニオンの娘たち」がキュビズムの幕開けをつげる作品であるといわれる所以です。

 それにしても「アヴィニオンの娘たち」はグロテスクな作品です。それだからこそかえって、インパクトのある作品になっているのかもしれません。すくなくとも、わたしはこの作品から大きなインパクトをあたえられました。わたしにとっては、好き嫌いをこえたなんとも表現しがたい偉大な作品なのです。


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<金髪の水浴の女> ルノワール

 “ルノアールの女”とは、はたしてどのような女であろうか? “豊満な柔肌の美女”、これこそがルノアールの女なのである。表題の「金髪の水浴の女」はまさにこの代名詞がぴったりとあてはまる作品といえる。水浴のあとで、金髪で豊満な柔肌の美女がソファに腰をおろして、バスタオルで足をふいている。そんな情景が独特なタッチときらびやかな色彩とで描かれている作品である。

 ルノアールは1880年代からこのような浴女を好んで描いている。この作品はそのうちの代表作のひとつであるが、いかにもルノアールらしい作品である。この作品をはじめて目にしたわたしは四肢のゆたかさとプロポーションのすばらしさに圧倒されるおもいであった。だが、それでいて、エロチックな感じを受けないのである。もとより、官能のひびきはつたわってくるものの、それを超越したなにかがこの作品のなかには秘められているのだ。

まず、わたしの目を入ったのはイメージのあかるさである。画面全体はぼっとした雰囲気におおわれているのであるが、それでいて、色調があかるく、滑らかでふわふわとした感触の肌が赤色を基調とした色彩につつまれているのだ。そこにわたしが見たものは若くてうららかな健康このうえない裸婦なのである。

 ルノアールは晩年に至るまで、裸婦のとりこであった。その証拠に彼は生涯を通じて数多くの女性を描いているが、その大半が裸婦であったのだ。それでいて、ルノアールはいわゆるドンファンでもなければ、女好きでもない。多くのモデルにとりかこまれながらも、愛人といわれる女性は何人もいなかったそうである。彼にとって、この世の中で女の裸体にまさる美は存在しなかったのである。「わたしは女がいなかったら、絵描きになんかならなかった」とルノアールは告白している。彼は裸婦を描くことが好きでたまらなかったのだ。

 ルノアールは引っ込み思案で、自らを語ることは好まなかった。だから、いわゆる言行録のようなものは残ってはいないけれど、前文の告白からして、ルノアールにとっては、女は生涯にわたって美の対象であったばかりか、崇敬の対象であったことだけはまちがいがない。それはどこから来ているのであろうか。ルノアールは家庭的な女が好きであった。ここにひとつのヒントがあるようだ。恋人と母親を兼ね備えた女性にあこがれていたのである。ルノアールはそれを裸婦のなかで追求していったのだ。

「ボクはモデルなしでは裸婦は描けないけれど、そのモデルを忘れることを心がけている」とルノアールはいっている。モデルは必要であるが、製作の過程ではモデルにとらわれることなく、自分だけの裸婦を描いているのである。それを描かせたのは心の片隅に住んでいる守護神であろう。その守護神こそが恋人であり、母親であったにちがいない。

 わたしはあらためて「金髪の水浴の女」を見つめてみる。まるで夢のなかの裸婦を見ているような心境になっていく。はたして、この裸婦が嫌いだという人がいるだろうか。わたしはそんな気持ちになる。ルノアールの裸婦は好き嫌いを超越しているようにおもわれて仕方がない。


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<裸のマハ> ゴヤ

 マドリードのプラド美術館はスペインを代表する美術館のひとつである。日本からマドリードに立ち寄るたいていの旅行者はこの美術館を訪れる。目的は何であろうか。それはいわずとしれた「裸体のマハ」と「着衣のマハ」というふたつのマハを見るためである。そのうちでも、「着衣のマハ」はどうでもよく、多くの人たちにとって、ほんとうに見たいのは「裸体のマハ」なのだ。

 美術館に着いた人たちは真っ先にこの「裸体のマハ」のもとへと向かう。そして、観客たちが裸体のマハを目にした瞬間に、あの射るような官能のまなざしのお迎えをうけることになる。まったく、「裸体のマハ」あってのプラド美術館なのである。

 わたしははじめて「裸のマハ」を見たときの感激は生涯忘れることができない。それまでに見たどのような裸婦よりも官能の響きをもって、わたしの胸に迫ってきたのである。わたしはこの「裸のマハ」によって、裸婦の魅力にとりつかれてしまったといっても過言ではない。

 それにしても、「裸体のマハ」は不思議な作品である。もともとスペインでは、ベラスケスの「横たわるヴィーナス」をのぞくと、ゴヤが「裸体のマハ」を描くまでは裸婦を描いた画家はいなかったといわれている。唯一の例外であるベラスケスの裸婦にしても、生身の女性を描いたのではなく、神話のなかの女神を描いたものである。その点、ゴヤの描いた裸婦は神話や宗教のなかに題材をもとめた女性ではなく、生身の人間なのである。

 スペインといえばカソリックの国である。裸婦を描く画家がいなかったのは、きびしい戒律を反映しているからなのだ。それにしても、ゴヤはなぜきびしい戒律を破ってまで、この作品を描いたのであろうか。印象派の時代になって、マネが「オランピア」という作品で、どこにでもいる街娼を描いて、一代センセーショナルを巻き起こしたことをおもえば、マネよりもまえに活躍したゴヤがこのような作品を描いたことはおどろきである。

 その秘密の解くカギはどうも「着衣のマハ」にあるようなのだ。ふたつのマハが同時に描かれたところに秘密がひそんでいるといわれている。このふたつの作品については、いくつかの伝説がある。そのひとつが、ふたつの作品のモデルがゴヤの愛人であったことに起因している。ゴヤは愛人のアルバ公夫人のすばらしい裸身をキャンバスのうえに残そうとしたというものである。
 だが、ふたりのあいだに疑問を持ったアルバ公が不意にふたりのもとを訪れたときのために、「着衣のマハ」を用意しておいたというものである。たしかに、物語としても面白いけれども、史実からすると信憑性がないといわれている。

 それよりもこれらの作品がマニュエル・ゴドイという宰相の所持品として記録のなかに登場してくることに注目したい。ゴヤは、一般大衆を意識することなく、だれか特定の人の趣味や要望に応えて、「二組のマハ」を制作したというのが妥当なところであろう。

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<ダナエ> レンブラント

 裸婦の起源を西洋美術史のなかでとらえると、ルネッサンスの時代に活躍したボッティチェルリにまでさかのぼる。すなわち、彼の作品のうちでも、「春」とならんで傑作の誉れの高いの「ヴィーナスの誕生」がそれであるといわれている。

以来、裸婦の歴史を振り返ってみると、ルネッサンスの天才画家だったジョルジョーネが描いた「眠れるヴィナース」、スペインのゴヤが描いた「裸体のマハ」、フランスのアングルが描いた「グランド・オダリスク」、印象派のルノアールが描いた「金髪の水浴の女」と、枚挙にいとまがないほどの名画がそろっている。

 こうした裸婦の歴史のなかにあって、印象派のマネが描いた「オランピア」は重要な分岐点をなしている。マネはこの作品のなかで、どこにでもいる街娼を堂々と登場させたのである。マネがこの作品を世に問うまでは、画家たちの真の狙いはともかく、表面上は宗教、神話、歴史などのなかに題材をもとめているのだ。

 そのような作品のひとつにレンブラントの「ダナエ」がある。この作品は神話にその題材をもとめている。すなわち、アルゴスの王アクリシオスは自分の子どもの手にかかって死ぬという神託を得たために、娘のダナエを青銅の塔のなかへ幽閉して求婚者たちを退けてしまう。だが、ゼウスは黄金の雨に姿を変えて塔に侵入してダナエと交わるというストリーである。

 これまでにも、多くの画家たちがこの神話のヒロインに題材を求めてすぐれた作品を描きつづけている。そのなかで、レンブラントの「ダナエ」とならんで傑作の誉れが高い作品がティツィアーノの「ダナエ」である。この作品のなかで巨匠のティツィアーノが工夫を凝らしたのが黄金の雨の描写である。巨匠は空から降りそそいでいる金貨を侍女があつめている場面を描くことでこれを解決している。

 これにたいして、レンブラントは雨の描写を放棄して、窓から差し込む黄金のひかりをもってこれに代えている。それよりもレンブラントが力を入れたのが自己の意思と感情をもたない人形のようなヒロインではなく、自らの純潔は父親から強制されたものであって、彼女自身は愛に飢えていることをリアルに表現したのである。

 敷衍すると、レンブラントの描いたヒロインのダナエは、近づいてくるゼウスにたいする愛の期待に満ちている。ゼウスを見つめるまなざしが象徴的にそれをあらわしている。それにくわえて、からだをよじり、右手を差し出し、からだ全体でゼウスの愛を受け入れようとしている。

 ともあれ、レンブラントの「ダナエ」はわたしがこれまでみた裸婦像のなかで、もっとも官能的な作品であるばかりか、近寄りがたい品格をそなえている。そのせいか、この作品はかつてリトアニアの一青年によって、むごい傷を負わされてことがある。青年はダナエの股間にナイフを突き立ててキャンバスを引き裂いたうえに、からだに硫酸をあびせたのである。


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<ヴィーナスの誕生> ボッティチェリ

 イタリアのフィレンツェにはフィレンツェ時代のルネサンスを代表する絵画をあつめたウフィツィ美術館がある。そのウフィツィ美術館のなかでももっとも人気のたかい作品のひとつがボッティチェリの「春」である。その「春」にはおよばないながらも、根強い人気を保っているのがおなじくボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」という作品なのだ。

 ボッティチェリは十五世紀後半のルネサンスを代表する画家である。彼の代表作の「春」が描かれたころのフェレンツェは豪華王と俗称されたメディチ家の当主が君臨した時代であり、多くの芸術家が輩出した黄金の時代でもあった。

そのころのメディチ家は芸術の保護者として、多くの芸術家たちを優遇したので、優れた芸術家や人文主義者たちがフィレンツェにつどった。とりわけ、キリスト教思想と古代思想とを統一融合しようとした新プラトン主義が強い影響力をもっていた。

 ボッティチェリの絵画もこの新プラトン主義から大きな影響を受けることになる。たとえば、例の「春」という大作は、「ヴィーナスの王国」と別称されるように、地上の愛を通じて天上の愛に至ろうとするものである。優美さのなかにも憂いを含んだこの絵画はメディチ家の黄金時代を象徴する作品といっても過言ではないのである。

 そのような観点から、表題の「ヴィーナスの誕生」をみると、この作品も「春」と同様に新プラトン主義の影響を色濃く受けている。すなわち、この作品は文字通りヴィーナスの誕生を意味する作品といえる。遠く旧石器時代やギリシャの美術はおくとして、われわれが裸婦の歴史をたどった場合に、抵抗なくその先祖として受け入れることができるのがこの「このヴィーナスの誕生」なのである。それでいてこの作品はそれ以後の裸婦とはっきりとしたちがいがあるのだ。

 それならば、そのちがいはどこにあるのであろうか。端的にいうと、ボッティチェリの作品は「天上のヴィーナス」という点なのだ。官能性がまったくないわけではないけれど、それよりもけがれのない美の世界の象徴として描かれているのである。その点、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」が十分な官能性を備えていることを考えると、「ヴィーナスの誕生」のけがれのない天上性がきわだっている。

 もともとわたしは裸婦の優劣はその作品が有している官能性にあると考えている。その点からするとボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」は好きでないはずである。それなのにわたしはこの作品に魅かれるのだ。それはなにをおいてもこの作品のもつ芸術性の高さに由来するもののようにおもわれる。


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