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2007年9月

<変幻する裸婦> 東郷清児

「わたしは恋愛感情に衝き動かされながら絵を描いてきた」
 これはピカソのことばであるが、ピカソならずとも多くの画家たちが常人では考えられない異性関係を結んでいる。そのひとりとして、東郷青児をあげることができる。

 東郷は日本洋画の典型をつくった功労者のひとりである。若いころ、パリに留学して、本場のキュビズムやシュールレアリズムを学んで帰国すると、それを本活的な日本の油絵にうつしかえた優れた洋画家なのである。

 その功績とは裏腹に東郷もピカソにおとらず生と性の愛憎地獄を生きた画家でもあった。すなわち、幼いころから画才に恵まれていた東郷は、竹久夢二の美人画のモデルになった岸たまきが経営している「港屋」という店に出入りした。

この店はいまでいうギャラリーで夢二の木版画、絵葉書、封筒などを売っていたが、東郷が出入りするようになったころには、夢二にはほかに愛人ができていてこの店には寄りつかなかった。そこで東郷はたまきから夢二の絵の代筆をさせられたのである。

そればかりか、のちの資料によると、竹久夢二は東郷とたまきがただならぬ関係にあるとして、たまきをわざわざ旅先まで呼び出して、暴力をふるったばかりでなく、嫉妬に狂って刃傷沙汰まで起こしている。

 妻子の待つ日本へパリ留学から帰国した東郷は、当時まだ女子大生であった女性と恋愛関係になったばかりか、結婚できないことを悲観して、ガスを放ちノドを切るという心中未遂事件を起こしている。それにもかかわらず、すぐそのあとには作家の宇野千代と知り合い五年間の同棲生活を送っている。

 そのあとは心中未遂をした女性と正式に結婚することになるが、それからも竹久夢二とおなじようになにかと女性関係が絶えなかったといわれている。その東郷の画業のひとつに「東郷製裸婦」として一世を風靡した裸婦がある。

 その裸婦を見ると、愛憎地獄を生きた画家の作品とはおもえないほどに洗練された作品ばかりである。さすがキュウビスムの洗礼をうけた画家だけのことはあって、独特の抽象画で描かれているが、そこには具象画にはない特有のスマートさがある。

「若さをたたえた美しい肉体は妖精にほかならない」「女は激情の船である。静まりかえった海も走れば、荒れ狂う海にも船出する船もある」「女の美しさは千手観音の功徳以上に素晴らしいものではないだろうか。世紀に世紀を重ねて女体美は極まるところを知らない」

 いずれも東郷自身のことばであるが、このうちの女体の美しさは千手観音の‥‥ということばは東郷が製作した「女体礼賛」という作品に添えられたものである。この作品は仏像の源流をなすインドのエロチシズムが主題で、東郷特有の変幻する女体が画面いっぱいにひろがっている。

 東郷の裸婦のなかでもうひとつの圧巻は「脱衣」という作品である。文字どおり、若い女性が最後の下着を脱いでいるところを描いたものである。これも抽象画であるにもかかわらず、そこから醸し出される変幻する女体は具象画の比ではない。

「東郷の女性の扱い方には、日本の造園術や生け花を想わせるものがある。彼はランやバラの花をみるようにモデルをみて、その扱い方ときたら精巧極まりない。というのも、東郷青児は西欧風の日本画家であり、このふたつの世界の技術を完全に一体化することに成功したからである」

これはある著名な文学者の言であるが、事実、東郷は西洋画の礎のうえに大正期の日本の抒情画界を席巻した竹久夢二の絵画の発想とその技術を自分の絵画のなかに取り入れたのである。その背景には若き日の忘れえぬ体験があったのかもしれない。

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<裸婦> 伊藤悌三

 芸術は個性であるとはよくいわれることであるが、一見しただけでそれがわかるのが絵画の世界である。裸婦の世界もその例外ではない。わたしがそれを実感できるのは、伊藤悌三画伯の作品をみるときである。伊藤先生はわが国における裸婦の大家であり、数多くの名作をのこしている。

 先生の作品はいずれも明るく屈託のない若い女をモデルにしている。絵の基調をなすものは天性の明るさであり、それに光と影が投影されているのだ。わたしは画伯の作品をぱっと見ただけですがすがしい気持ちになる。そのような気持ちにさせてくれるところに伊藤作品の醍醐味があるといえる。

 伊藤先生の作品の場合、わたしにとってこれがいちばんだという作品はない。座像でも横たわる裸婦でも伊藤先生の筆になるものならば、すべての作品が好きだというのがもっとも的確な答えである。だが、そのなかでもあえて選別するならば、スペインの女性をモデルにした裸婦である。

 伊藤画伯はこよなくスペインを愛した画家としても知られている。若いころからスペイン女性をこよなく愛して、毎年のようにスペインに渡ってはスペイン女性を描きつづけてきたのである。モデルはすべて若い女性たちで、ときには美術学校のお嬢さんたちを好んで描いたといわれている。

 悲しいことに人間のからだは年齢とともにかたちがくずれていく。女性のからだも若いころが美しさの頂点にある。胸の形、腰の形、腿肉の張り方、すべてが生命にみちあふれている。画伯は美の頂点にある若い女性の美しさを追求しつづけてきたのである。それもスペインまで足を運んで‥‥。

 色と形の美しさを純粋に表現することが伊藤芸術の極みであるといわれている。それはとりもなおさず画伯にとっては、女性のからだを素朴に、そして誠実に描くことである。裸には親の代、その前の代から受け継がれてきた歴史がある。それも美しさの重要な要素なのだ。伊藤先生はその真髄をわが国ばかりでなく、スペインまで足繁く通い続けることによって見出したのである。

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<アポリネール礼賛> シャガール

 何が描かれているのかわからないけれど、気になる絵画というものがある。多くの抽象絵画がそれに該当するけれど、そのうちで、わたしが気になって仕方がないのがシャガールの絵画である。

シャガールの代表作といえば、妻と散歩しているところを描いた「散歩」という作品をおもい浮かべる人もいることであろう。これなどは妻が宙に浮いていて、かろうじて、シャガールとおぼしき男の左手と妻の右手だけが結ばれている不思議な作品である。

つぎにシャガールには彼に出身地を描いたといわれる「私と村」という作品がある。画面の右手には、帽子をかぶった男の横顔が、そして、左手の方には、牝山羊の顔が大きく描かれており、両者がにらみあっている。これも一瞥しただけで奇怪きわまる作品といえよう。

このふたつの作品をみただけでも、シャガールの絵画の特異性が浮かびあがってくるのであるが、はたして、シャガールは何を描こうとしたのであろうか。シャガールは自分の心のなか目をむけて そこに宿っている心象風景を絵画として表現しているのである。

この点に関して、シャガールは次のようなことをいっている。
「わたしたちの内面的な世界はすべてが現実なのです。おそらく目にみえる世界以上にそうなのです。理屈にあわないものをすべて非論理的とか、“ファンタジー”(幻想)とか、おとぎ話とか呼ぶことは、自然がわかっていないことを認めるようなものです」

 現在では、深層心理の世界の探求がすすんで、ファンタジーやおとぎ話も深い意味をもつことが立証されるようになったことをおもい合わせると、シャガールは深層心理学の先覚者のひとりであったといっても過言ではない。

 このようにシャガールが自分の心象世界を絵画としてあらわしてきたことがまちがいのない事実であるが、それではシャガールはその技量をどこで身につけていったのであろうか。ちなみに、シャガールはパリで活躍した画家であったけれど、パリに出てくるまでにも多くの作品をあらわしているのである。

 それにもかかわらず、シャガールがパリに出てこなかったならば、あの特異な作品は日の目をみなかったといわれている。たしかにシャガールの心象風景の基本をなすものは彼が生まれ育ったロシアである。だが、その表現手段はパリに出てきて多くの先輩たちから学んだのだ。

形態は多くに画家とおなじようにセザンヌを先祖として、ファーヴィスムやキュビスムの画家たちに学んだのである。色彩は彼の絵画をみれば、疑いの余地もないくらいに印象派の画家たちの薫陶をうけているのである。

それにシャガールの場合は、もうひとつ大きな影響を受けた人たちがいる。彼の絵画が詩的であるといわれるのも、その所以であるが、アポリネールをはじめとして、当時パリで活躍していた詩人たちの影響も受けていたのである。

そのうちの一枚の作品に「アポリネール礼賛」がある。これはシャガールには少ない裸婦を描いたものである。といっても アダムとエヴァが描かれているから裸婦はエヴァだけとなる。それも抽象画であるのでなかなか判別がむずかしいところがあるが、手に果実をもっているところと、乳房が描かれているのでそれがエヴァであることがわかる。

それにしてもこの作品もその特異性が光っている。大きな円のなかにアダムとエヴァが描かれているのであるが、この円がアダムの誕生からエヴァを通じて失楽園へと場面が展開してゆく。そして、アダムの末裔であるわれわれの世界になっていく、その全過程が鮮やかな色を交えた円で描かれているのである。

そして、決め手は、円のなかのアダムとエヴァの苦悩の表情である。それは禁断の実に手を出した人類の先祖の原罪を髣髴とさせる。聖書の創世記に語られているとおりの世界である。

それにしてもわれわれが裸婦を楽しむことができるのは、もとをただせばエヴァが禁断の実に手を出してくれたおかげであるといえなくはない。エヴァの功罪のどちらに該当するのであろうか。

ともあれ、シャガールはアポリネールのような詩人から多くのヒントを得て誰も描いたことのないこのような作品をものにすることに成功したのである。

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<幽玄のエロチシズム> 加山又造

 画集の扉をあけるとひとりの男の顔があらわれる。年のころなら50代のおわりのころであろうか、じつに味わい深い容貌をしている男である。おなじ芸術家であっても、どこか偏屈で、気難しい顔つきとは無縁で、細めに目をあけて、大きく口をひらいて、屈託のない笑顔をみせている。まったく気負うことのない自然な笑いである。そのうえ、髪はもしゃもしゃで、半纏のようなものを身にまとっている。そこからはいたって気さくな人柄がしのばれる。

 この画集のなかの男こそが加山又造画伯なのである。このような容貌や身なりの画伯から一時代を画した絵画が生み出されたことが一件奇異のようにおもえてくる。だが、思案するまでもなく、このように気さくで身構えない画伯だからこそ、余人には果たしえなかったヨーロッパと日本の美を融合させた独自の美術という偉業を達成することができたのかもしれない。

 加山又造の功績は多岐にわたっている。日本伝統の障塀画に挑戦をつづけて、あたらしい伝統を確立したかとおもうと、裸婦をとりあげて、幽玄なエロチズムを追求したり、さらには、あらたな観点から水墨画の世界を探求するなど、その活躍ぶりは、まさに「美の狩人」というニックネームで呼ばれるにふさわしい芸術家である。

 そのなかで、わたしがとりあげるのはもとより裸婦の世界である。加山又造が裸婦を世に問うたのは1974年のことで、年は47歳だったといわれている。裸婦を描くにはおそい出発だったかもしれない。しかし、それから6年間にわたって探求をつづけて、完成させたいわゆる「裸婦シリーズ」は長年にわたる画伯の画業のなかでも特筆に価するものである。

 加山の画集をめくると、はっと息をのむ二点の裸婦があらわれる。いずれも裸婦習作と名づけられた美しい線で描かれている裸婦である。一点は、バックが全面にわたって黒地の金箔で被われており、そのまえにひとりの裸婦が横たわっているという構図である。もう一点が、シルクスクリーンの手法で施された紺地に金の文様を刷る出した画面をバックにして、ひとりの裸婦がたっている構図である。

いずれの裸婦も気おくれすることなく、堂々と描かれており、よくバックの画面となじんでおり、じっとみていると目がくらみそうになるほどである。なぜこのような完成度の高い裸婦が「習作」であるのか皆目見当がつかないほどである。

さらにページをくくっていくと、そこにもはっとする裸婦の姿があらわれる。両面をつかった見開きのページのうえにはすけすけの黒い薔薇のレースをまとった4人の裸婦たちがたっている。レースのつけ方もまちまちで、全身がレースで被われている裸婦もいれば、からだ半分ははだかの裸婦もいる。わたしはこれまでにこのような絵柄の裸婦にお目にかかったことがない。

「黒い薔薇の裸婦」と名づけられたこの作品こそは、加山又造の個性がよく出ている作品である。加山の描く裸婦は美しいのである。だが、ただ美しいばかりではない。裸婦の属性であるエロチシズムが加山のもくろみどおりあらわれていて、観るものをたのしませてくれるのである。

 さらにページをめくると、そこにも二点の裸婦があらわれてくる。これも「裸婦習作」と題された作品で鳥の絵柄をバックにして、若くてすらりとした裸婦が横たわっている構図である。そして、もう一点が、「裸婦と猫習作」という作品で、こちらも目のきれいなすらりとした裸婦がソファのうえによりかかっており、そのかたわらには猫がいるという構図である。

 ふたつの作品に共通しているのは、裸婦たちに質量感がなく、ふわりとした面影をたたえた裸婦像に仕上がっているとろろである。これこそが加山が現代的な新感覚によって描いた裸婦であり、女性が本性的にもっている奥深くて計り知れない幽玄のエロチシズムを漂わせている作品である。

 加山又造の専門は日本画であるといわれている。わたしはそれを否定するものではない。しかし、画伯の裸婦には日本画にはない洗練された要素がある。それはたぶんにヨーロッパの美術から収集したものであろう。

加山の裸婦はすべて日本画の伝統である美しい線によって描かれている。その点ではあきらかにヨーロッパの画家が描いた裸婦とは一線を画すようにおもわれる。だが、「近代の序曲」を告げた作品といわれているマネの「オランピア」も正確なデッサンだけによって対象の立体感を表現しているのである。

そのようなことを考えあわせると、加山はヨーロッパの美術の吸収によって得られた造形と、伝統的な日本画が持っている造形とをよく溶けあわせて、そのうえに加山なりの日本人として感性を加味してつくりあげたのが、とりもなおさず、日本画にも洋画にもない加山又造なりの裸婦なのであろう。


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