<裸婦> 藤島武二
「裸体画の中で、深く私の印象に残っていて、今もなお忘れられないもの」として、画家の藤島武二は、マネの「オランピア」をあげている。マネのオランピアといえば、パリいの町中で会うような少女をモデルにしたことで、世間の非難をあびた作品としてしられている。
ヨーロッパにおける裸婦の歴史はルネッサンスにまでさかのぼる。そのなかにあっても多くの有能な画家たちが多くの裸婦像に挑戦している。官能の響きでは、オランピアなど寄せつけない作品が数多く存在する。しかし、それらの作品も表面上は神話か、歴史か、寓意などのよろいをかぶっているのである。ところがオランピアはそのようなよろいは一切脱ぎすてて、生身の少女をモデルにしているのだ。
これだけでも当時のパリ画壇の非難を受けるのに、オランピアにはもうひとつ非難を受ける大きな要因があったのである。それは作品の表現性からくる差異である。それまでの作品は遠近法や明暗法などを駆使して、作品に陰影や肉付けがほどこされてきたのであるが、オランピアではそれらを放棄して、すなわち、奥行きを否定して、二次元の正面性を強調した描き方をしたのである。
それでもオランピアをみればわかるとおり、マネが描いた裸婦にははっきりとした肉体のふくらみが感じられるのである。マネは正確なデッサンとクリーム色にかがやく肌の色彩の変化によってこの作品を描いたのである。
――もっとも簡単なるトーンがまた無限の働きをなしている。
藤島はマネの絵画をこのように称している。藤島にはこの言に則って描いたとおもわれる作品がある。1917年頃に制作したとおもわれる裸婦である。
――大きく見よ、大体に注意せよ!
これが藤島がマネから学んだ絵画の秘法であったようである。1917年ころの製作になるこの裸婦はこの秘法がよく生かされているのだ。色彩を抑制して、赤と黒とを効果的に配置する。調子を単純化して、それでいて、面的に正しく対象を把握して抽出する。それでいて肉体のみずみずしさをも表現する。
この解説がそのままあてはまるのがこの裸婦である。藤島にとってマネをこえる師は存在しなかったのかもしれない。これはみたからにみずみずしい作品でみればみるほど心がなごむばかりである。
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