<智・感・情> 黒田清輝
――わが国に裸体画を持ち込んだのは誰であろうか。
それはわが国における西洋画のパイオニアとなった黒田清輝にほかならない。彼は9年間におよぶフランス留学を追えて帰国する。その黒田は留学中に一枚の裸婦を描いている。描かれているのはうしろ姿の裸婦で、正面をむいている姿は鏡にうつっているのである。「朝妝」(ちょうしょう)と題されたこの作品は当時のフランス画壇で流行していた裸体表現だったといわれている。
留学をおえて帰国した黒田はこの作品を第4回内国勧業博覧会へ出展したのである。いまだルノアールの裸婦に接することのなかった日本画壇はこの出展作品による衝撃で賛否両論が巻き起こったばかりか、やがては裸体画論争にまで発展していくのである。日進月歩の勢いで深化をとげるフランス画壇を目の当りにしてきた黒田はわが国の画壇に風穴をあけるためにすすんで裸体画論争に挑んでいったのである。
――西洋画の基礎は裸体画にあり。
これが黒田の信念であった。それもたんなる信念ではなく、当時のフランス画壇では、印象派の画家たちが世間から認知されており、あの豊満で色鮮やかなルノアールの裸婦をはじめ、多くの画家たちが西洋女性をモデルにしてそれぞれの裸婦像に挑戦をしていた時代なのである。
やがて裸体画論争は学窓まで持ち込まれることになる。すなわち、黒田は東京美術学校の西洋画科でどのような人体を教えるかについて一任されていたのである。そこで黒田は裸婦を描くにあたって、モデルをつかったのであるが、それにたいして、すさまじいばかりの低次元の批判が巻き起こったのである。
これにたいする反撃の意味をこめて制作したのが「智・感・情」という三部作からなる裸婦なのである。この作品は日本人をモデルにした最初の油彩による裸婦像としてもつとに有名である。
この3部作の中央に描かれている<感>のポーズをとっている裸婦はその容姿から威圧的な趣が感じられる。それこそが黒田の反撃の証のようにおもわれる。また、なぜ黒田がこのような抽象的なタイトルをつけたのかは判然としないが、本人の言によると、画家の三派を意識してつけたもので、理想、印象、写実を、それぞれ、智・感・情にあてはめたものであるという。
このようにこの作品は制作の動機において大きな意味を持っているが、それと同時に、この作品が歴史的に意味を持つのは、その造形上の実験にあるといわれている。すなわち、主題の象徴性と画面構成の装飾性を同時にねらったのである。写実的な人体に輪郭線を施し、背景を金地一色で塗りつぶすという冒険を行なったのだ。
ともあれ、わが国ではじめて日本人をモデルにした油彩画としてのこの作品は、裸体画と印象派風の画風をわが国に持ち込むことに執念をもやした黒田清輝の功績とともに永遠に記録に残ることであろう。
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