<孔雀と女> 安井曽太郎
安井曽太郎の代表作のひとつに裸婦を描いた「孔雀と女」という作品がある。ふくよかなソファのうえに西洋人の裸婦が横たわっている。カーテンを背にして一匹の孔雀が描かれている。裸婦とその孔雀と向い合っている絵柄である。わたしはこの作品を目にしたときに、ふとレンブラントの名作「ダナエ」をおもい起こした。
ダナエはギリシャ神話のヒロインである。ゼウスは黄金の雨に姿を変えて塔のなかに侵入して幽閉されているダナエと交わろうとしている。そのゼウスの愛を陶然として受け入れようとしている場面が描かれているのがレンブラントの「ダナエ」という作品である。
この主題にはティツィアーノをはじめ何人もの有能な画家たちが挑戦しているが、レンブラントの作品が群を抜いているようにわたしにはおもわれる。その理由はいくつか考えられるが、大きな比重をしめるのがこの作品がそなえている品格である。それと同じ品格をわたしは安井曽太郎の「孔雀と女」に見出したのである。
それほどまでにこの作品には筆舌につくしがたい品格が備わっているのである。その意味では、大家が描いた作品であるといっても決して不自然ではないのに、これがいまだ安井がパリに留学していた修行時代に制作された作品であるというからおどろきである。この作品については、安井自身が書いた説明文がある。それを抜粋してみよう。
――この絵は1914年の春パリで描いた。前年の秋イタリヤ旅行をした。イタリヤでは絵画よりも彫刻により多く興味をもった。‥‥‥ 製作中ギリシャ彫刻の美しさが忘れられず、終始頭の中にあった。
隣の家が動物彫刻研究所で、色々の動物が飼われていた。孔雀もその空地を歩いていた。僕の方からそれが、間近に、よく見えたので、その孔雀を写生して裸女に取合せることにした。裸女と孔雀の取合せには別に何の意味もない。
背景を庭園にして散歩の男女を描きいれたが、それは多少ともセザンヌの「二人の姉妹図」の散歩者からヒントを得た様でもあった。‥‥‥
‥‥‥「孔雀と女」は僕にとって、ただ一つのイタリヤ旅行の産物である。
そういわれてみると、ほりの深い顔といい、起伏に富んだ姿といい、この作品の裸婦には、ギリシャ彫刻のなかのビーナスの片鱗がうかがわれるようにおもわれる。なぜ、孔雀を描いたかとなると、たまたま空地にいた孔雀を写生していたからだといっているけれど、安井は生涯にわたって装飾に気をつかった画家であったといわれている。ことによると、この頃から無意識のうちに装飾に対する気配りが働いたのかもしれない。
たしかに背景には散歩している男女が描かれている。これも安井が写実主義の画家としてこよなくゼザンヌに傾倒していたことを考え合わせると、自然の成り行きとして理解できるところである。
ともあれ、「孔雀と女」は安井にとってフランス滞在の最後の作品となったばかりか、内容からいっても留学の総仕上げとしても余りある作品である。安井の西洋での体験と彼の生来の天才性が相乗効果を発揮したからこそ、このような名作が生まれたのであろう。
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