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2007年8月

<裸婦> 藤島武二

「裸体画の中で、深く私の印象に残っていて、今もなお忘れられないもの」として、画家の藤島武二は、マネの「オランピア」をあげている。マネのオランピアといえば、パリいの町中で会うような少女をモデルにしたことで、世間の非難をあびた作品としてしられている。

 ヨーロッパにおける裸婦の歴史はルネッサンスにまでさかのぼる。そのなかにあっても多くの有能な画家たちが多くの裸婦像に挑戦している。官能の響きでは、オランピアなど寄せつけない作品が数多く存在する。しかし、それらの作品も表面上は神話か、歴史か、寓意などのよろいをかぶっているのである。ところがオランピアはそのようなよろいは一切脱ぎすてて、生身の少女をモデルにしているのだ。

 これだけでも当時のパリ画壇の非難を受けるのに、オランピアにはもうひとつ非難を受ける大きな要因があったのである。それは作品の表現性からくる差異である。それまでの作品は遠近法や明暗法などを駆使して、作品に陰影や肉付けがほどこされてきたのであるが、オランピアではそれらを放棄して、すなわち、奥行きを否定して、二次元の正面性を強調した描き方をしたのである。

 それでもオランピアをみればわかるとおり、マネが描いた裸婦にははっきりとした肉体のふくらみが感じられるのである。マネは正確なデッサンとクリーム色にかがやく肌の色彩の変化によってこの作品を描いたのである。

――もっとも簡単なるトーンがまた無限の働きをなしている。
 藤島はマネの絵画をこのように称している。藤島にはこの言に則って描いたとおもわれる作品がある。1917年頃に制作したとおもわれる裸婦である。

――大きく見よ、大体に注意せよ!
 これが藤島がマネから学んだ絵画の秘法であったようである。1917年ころの製作になるこの裸婦はこの秘法がよく生かされているのだ。色彩を抑制して、赤と黒とを効果的に配置する。調子を単純化して、それでいて、面的に正しく対象を把握して抽出する。それでいて肉体のみずみずしさをも表現する。

 この解説がそのままあてはまるのがこの裸婦である。藤島にとってマネをこえる師は存在しなかったのかもしれない。これはみたからにみずみずしい作品でみればみるほど心がなごむばかりである。

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<智・感・情> 黒田清輝

 ――わが国に裸体画を持ち込んだのは誰であろうか。
 それはわが国における西洋画のパイオニアとなった黒田清輝にほかならない。彼は9年間におよぶフランス留学を追えて帰国する。その黒田は留学中に一枚の裸婦を描いている。描かれているのはうしろ姿の裸婦で、正面をむいている姿は鏡にうつっているのである。「朝妝」(ちょうしょう)と題されたこの作品は当時のフランス画壇で流行していた裸体表現だったといわれている。
 
 留学をおえて帰国した黒田はこの作品を第4回内国勧業博覧会へ出展したのである。いまだルノアールの裸婦に接することのなかった日本画壇はこの出展作品による衝撃で賛否両論が巻き起こったばかりか、やがては裸体画論争にまで発展していくのである。日進月歩の勢いで深化をとげるフランス画壇を目の当りにしてきた黒田はわが国の画壇に風穴をあけるためにすすんで裸体画論争に挑んでいったのである。

――西洋画の基礎は裸体画にあり。
 これが黒田の信念であった。それもたんなる信念ではなく、当時のフランス画壇では、印象派の画家たちが世間から認知されており、あの豊満で色鮮やかなルノアールの裸婦をはじめ、多くの画家たちが西洋女性をモデルにしてそれぞれの裸婦像に挑戦をしていた時代なのである。

 やがて裸体画論争は学窓まで持ち込まれることになる。すなわち、黒田は東京美術学校の西洋画科でどのような人体を教えるかについて一任されていたのである。そこで黒田は裸婦を描くにあたって、モデルをつかったのであるが、それにたいして、すさまじいばかりの低次元の批判が巻き起こったのである。

 これにたいする反撃の意味をこめて制作したのが「智・感・情」という三部作からなる裸婦なのである。この作品は日本人をモデルにした最初の油彩による裸婦像としてもつとに有名である。

 この3部作の中央に描かれている<感>のポーズをとっている裸婦はその容姿から威圧的な趣が感じられる。それこそが黒田の反撃の証のようにおもわれる。また、なぜ黒田がこのような抽象的なタイトルをつけたのかは判然としないが、本人の言によると、画家の三派を意識してつけたもので、理想、印象、写実を、それぞれ、智・感・情にあてはめたものであるという。

 このようにこの作品は制作の動機において大きな意味を持っているが、それと同時に、この作品が歴史的に意味を持つのは、その造形上の実験にあるといわれている。すなわち、主題の象徴性と画面構成の装飾性を同時にねらったのである。写実的な人体に輪郭線を施し、背景を金地一色で塗りつぶすという冒険を行なったのだ。

 ともあれ、わが国ではじめて日本人をモデルにした油彩画としてのこの作品は、裸体画と印象派風の画風をわが国に持ち込むことに執念をもやした黒田清輝の功績とともに永遠に記録に残ることであろう。

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<孔雀と女> 安井曽太郎

 安井曽太郎の代表作のひとつに裸婦を描いた「孔雀と女」という作品がある。ふくよかなソファのうえに西洋人の裸婦が横たわっている。カーテンを背にして一匹の孔雀が描かれている。裸婦とその孔雀と向い合っている絵柄である。わたしはこの作品を目にしたときに、ふとレンブラントの名作「ダナエ」をおもい起こした。

 ダナエはギリシャ神話のヒロインである。ゼウスは黄金の雨に姿を変えて塔のなかに侵入して幽閉されているダナエと交わろうとしている。そのゼウスの愛を陶然として受け入れようとしている場面が描かれているのがレンブラントの「ダナエ」という作品である。

 この主題にはティツィアーノをはじめ何人もの有能な画家たちが挑戦しているが、レンブラントの作品が群を抜いているようにわたしにはおもわれる。その理由はいくつか考えられるが、大きな比重をしめるのがこの作品がそなえている品格である。それと同じ品格をわたしは安井曽太郎の「孔雀と女」に見出したのである。

 それほどまでにこの作品には筆舌につくしがたい品格が備わっているのである。その意味では、大家が描いた作品であるといっても決して不自然ではないのに、これがいまだ安井がパリに留学していた修行時代に制作された作品であるというからおどろきである。この作品については、安井自身が書いた説明文がある。それを抜粋してみよう。

――この絵は1914年の春パリで描いた。前年の秋イタリヤ旅行をした。イタリヤでは絵画よりも彫刻により多く興味をもった。‥‥‥ 製作中ギリシャ彫刻の美しさが忘れられず、終始頭の中にあった。

 隣の家が動物彫刻研究所で、色々の動物が飼われていた。孔雀もその空地を歩いていた。僕の方からそれが、間近に、よく見えたので、その孔雀を写生して裸女に取合せることにした。裸女と孔雀の取合せには別に何の意味もない。

 背景を庭園にして散歩の男女を描きいれたが、それは多少ともセザンヌの「二人の姉妹図」の散歩者からヒントを得た様でもあった。‥‥‥

 ‥‥‥「孔雀と女」は僕にとって、ただ一つのイタリヤ旅行の産物である。

 そういわれてみると、ほりの深い顔といい、起伏に富んだ姿といい、この作品の裸婦には、ギリシャ彫刻のなかのビーナスの片鱗がうかがわれるようにおもわれる。なぜ、孔雀を描いたかとなると、たまたま空地にいた孔雀を写生していたからだといっているけれど、安井は生涯にわたって装飾に気をつかった画家であったといわれている。ことによると、この頃から無意識のうちに装飾に対する気配りが働いたのかもしれない。

 たしかに背景には散歩している男女が描かれている。これも安井が写実主義の画家としてこよなくゼザンヌに傾倒していたことを考え合わせると、自然の成り行きとして理解できるところである。

 ともあれ、「孔雀と女」は安井にとってフランス滞在の最後の作品となったばかりか、内容からいっても留学の総仕上げとしても余りある作品である。安井の西洋での体験と彼の生来の天才性が相乗効果を発揮したからこそ、このような名作が生まれたのであろう。

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<きらびやかな裸婦> 梅原龍三郎

梅原龍三郎の裸婦に「黄金の首飾り」という作品がある。上半身だけであるが、裸の若い女性が右手で黄金の首飾りをかざしている絵柄である。わたしはこの作品を目にしたときには、「これはルノワールの裸婦だ!」とおもわず声をあげってしまった。ところがこれはまぎれもなく梅原龍三郎の作品だったのである。

だが、わたしがルノワールの作品であると錯覚してもあながち見当ちがいでもなかったのである。なぜならば、梅原はフランス留学時代にルノアールに師事していたからだ。ちなみに梅原龍三郎には、「横臥裸婦」という作品がある。この作品も豊潤な色感といい、筆触の切れ味といい、梅原の個性がよく出ている作品である。

しかしながら、この作品と前述の「黄金の首飾り」という作品を比較するとあきらかなちがいがある。「黄金の首飾り」はルノワールの裸婦を意識して描かれているのだ。その間の理由は容易に推察がつく。すなわち、いずれも梅原のフランス留学時代の作品であるが、「横臥裸婦」は、梅原がパリに着いた年の秋に当時パリに在住していた高村光太郎のアトリエで制作したものである。これにたいして、「黄金の首飾り」は梅原のフランス滞在の末期に制作された作品であるので、梅原はすでにルノワールの薫陶を受けていたのだ。

「わたしは女がいなかったら画家にはならなかった」と、ルノワールは公言している。その言葉どおり、ルノアールは生涯にわたって裸婦を描きつづけた画家である。その師匠のルノワールに劣らず、梅原龍三郎も最晩年にいたるまで裸婦を描きつづけてやまなかった。しかもふたりとも画風は豊潤な色彩の裸婦を描くところにあったのだ。

 だが、ふたりの裸婦を見比べてみると、あきらかなちがいがある。ルノワールの裸婦にはあまり色彩の変化はみられない。それにたいして、梅原の裸婦はそのときどきによって色彩がことなるのだ。ちなみに、「竹窓裸婦」という作品などは、窓外の竹やぶの色彩を意識して、椅子に座らせている裸婦のからだを緑と白で描いているのだ。

 さらに「裸婦扇」という作品では、緑と赤とを基調とした仰臥裸婦へと発展させている。そればかりか、この作品では裸婦の色彩ばかりか、室内の装飾にも一工夫を凝らしている。すなわち、桃山風の扇面を撒き散らした金屏風をバックにしつらえて、そのまえには緑の布を敷いたベッドがあり、そのベッドのうえには片手を頭上にのせた裸婦が横たわっている。しかもこの裸婦が緑と赤の輪郭線で彩られているのだ。

 この作品は桃山美術の絢爛豪華な装飾美の精華を自らの絵画のなかに取り入れようとした梅原龍三郎の意欲作といえるようであるが、いずれにしても、梅原は豊潤な色彩と奔放自在な画風とで東西の美を融合させた絵画を描きつづけたことで知られているが、裸婦もまたその例外ではなかったのである。

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<五人の裸婦> 藤田嗣治

 明治時代から現在に至るまで多くの画家たちが夢を胸に秘めながら芸術の都パリの地を踏みしめている。だが、夢と現実はちがうのである。大半の画家たちが展望のひらけないまま、パリの地をあとにしている。そのような状況下にあっても、この憧れの地でみごとに自らの夢をひらいた画家たちもいる。藤田嗣治もそのような画家のひとりである。

 目の肥えたパリ人たちを魅了した藤田の成功の秘訣はどこにあったのであろうか。それは自らが独自の手法で編み出した「乳白色の肌」という独特の絵肌にこそあったのだ。これは藤田が浮世絵からヒントを得たものといわれる。だが、乳白色の地肌をつくる技法は藤田自身が努力をかさねて考案したもので、藤田の専売特許といっても過言ではない。これが浮世絵のもつ官能性とむすびついて、パリの人たちから喝采をもって迎えられたのである。

 藤田はこの技法を取り入れて多くの作品を制作しているが、そのなかのひとつに「五人の裸婦」という作品がある。藤田がはじめて描いた裸婦群像であるが、ここでも主役の座を占めているのが「乳白色の肌」である。しっとりとした白い地をそのまま裸婦の肌としてつかっている。そのうえからごくうすい彩色がほどこされていて、乳白色の肌に色どりをそえている。見るからに品格のある色つやで、洗練されたパリの人たちの心を魅了するだけの価値をそなえていたのである。

 構図という点では、五人の裸婦たちはMの字を描くように配置されている。いずれの裸婦もその顔や体型からして西洋の女性たちをモデルにしている。そして、裸婦たちに布をもたせたり、耳に手をふれさせたり、口を指ささせたりたり、かたわらに犬を伴わせたり、それぞれの裸婦にひとつの役割を担わせている。

 五感という感覚で裸婦たちに統一性をもたせようとしたものらしい。だが、その点では必ずしも成功しているとはいえないようである。群像表現の醍醐味は、お互いに関係性をもたせながら複数の人物をひとつの空間のなかにうまく存在させることにある。その点からすると、この作品は人物同士が無関係で、ひとつのテーマのもとに統一がなされているとはいいがたい。

 ピカソに「アヴィニオンの娘たち」という作品がある。これも五人の裸婦たちを登場させた群像表現である。この作品もテーマの統一性となると、なかなかむずかしいものがあるが、五人の裸婦たちが一組になっているのがわかる。一組になって何かを訴えかけてくるのだ。関係性をもっているからそのような訴えかけがなされるのであろう。その点からすると、藤田の作品は裸婦たちがばらばらに配置されているようにおもわれてならないのだ。

 それでは、藤田の代表作のひとつであるこの「五人の裸婦」は価値がないものであろうか。わたしはそのようにはおもわない。たとえ、構図においては課題をのこしているにしても、この作品は見るものをひきつけてやまない魅力があるのだ。それは一にも二にも藤田が考案した「乳白色の肌」の威力にほかならない。それだけでもこの作品は偉大であり、これからも評価されつづけるにちがいない。

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