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2007年5月

<ネヴァモア> ゴーギャン

 ぱっと見ただけでその絵から目が離せなくなった。そればかりか、胸騒ぎ起きてどうにもとまらない。わたしにそんな体験をさせてくれた一枚の作品がある。それがゴーギャンの「ネヴァモア」なのである。ひとりの若い女性が全裸のままで横たわっている。決して美しい女性ではない。欧米人でもない。ごついからだつきである。なかでも腰の部分がいちだんと盛りあがっている。その容姿からして、東洋系でしかも南洋の未開の地の女性らしい。独特の色彩で彩られたその裸婦がわたしの目ばかりか、心をもとらえてゆさぶりつづけたのだ。

 ゴーギャンはタヒチの女性をモデルにしてこの作品を描いたのである。もともとゴーギャンは印象派の画家から多くのことを学んだ。だが、それは色彩についてであって、絵柄はまったく学ぶところがなかった。なぜならば、印象派の画家たちが目を向けたさきはあくまでも自然が対象であったからである。ちなみにゴーギャンのことばを借りれば、「印象派の画家たちは、自分たちの目の周囲ばかり探し回っていて、思想の神秘的な内部まで入り込もうとはしない」ということになる。

 ゴーギャンにとっての絵の世界は、たんに見えるものをそのまま再現するのではなく、目に見えない世界、内面の世界、魂の世界を探求することである。その具体的な作品のひとつが「ネヴァモア」なのである。だから、この作品でも色彩においては印象派の影響をうけているが、絵柄は影響のかけらも受けていないのだ。

「遠いところからやって来て、遠いところへ行ってしまう人間なのだ」
これはフランスのアルルでゴーギャンと生活をともにしたことのあるゴッホのことばである。そのゴッホの予言どおり、ゴーギャンは遠いところへといってしまうのだ。ゴーギャンが選んださきがタヒチである。なぜ、ゴーギャンは多くの人たちがあこがれてやまない華の都パリをあとにして、未開の地に足を踏み入れたのであろうか。

 当時のヨーロッパは産業革命の恩恵をうけて多くの富がもたらされていた。だが、ゴーギャンの目にはそのような繁栄は表面だけのことで、それに浮かれているのは愚の骨頂のようにおもわれた。ゴーギャンの目的はあくまでも魂の探求にあった。そのゴーギャンが向かった先がいまだ近代文明におかされていないタヒチであった。だが、ゴーギャンにとっては、このタヒチの地ももはや別天地ではありえなかった。彼がそこで見たものは確実に押し寄せてくる西洋文明の影である。

 それでもゴーギャンはここを終の棲家として自らの芸術の花を咲かせていった。それも貧困と病気に戦いながら‥‥。その苦労の結晶が「われら何処より来たるや、われら何ものなりや、われら何処に行くや」や表題作の「ネヴァモア」なのである。これらの作品に接していると、目に見える現実とはちがって、人間存在の不思議さに誘われていくのである。その魂の世界を提供してくれるゴーギャンはやはり天才にちがいない。

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<赤いトルコ風のスリッパの裸婦> ボナール

 ナビ派の巨匠であるボナールに「赤いトルコ風スリッパの裸婦」という作品がある。浴室のなかで全裸になった老齢の夫人が赤いスリッパをはいているところが描かれている作品である。モデルになっている夫人が63歳になるボナール夫人のマルトなのだ。

 ボナールにとって裸婦は彼の生涯にわたる画業のなかで中核を占めるテーマであったが、それよりも、わたしにとっての関心の的はもっぱらボナールとそのモデルとなったマルトとの関係である。1893年にマルトと出会ってからのボナールは生涯にわたって飽くことなく彼女を描きつづけたばかりか、1942年にマルトがこの世を去ってからも彼女をモデルとして描きつづけたのだ。

 そのなかでボナールが好んで描いた裸婦が表題の裸婦をふくめて、一連の「入浴する裸婦」たちである。モデルはすべてマルトなのだ。それなのにマルトがポーズをとっている作品は一枚として存在しない。不自然な格好でシャワーを浴びているところとか、バスタオルを手にして入浴しようとしているところとか、おそるおそる足の先を浴槽のなかに入れようとしているところとか、浴槽のかたわらで裸のままで靴下やブーツをはいているところとか、マルトが無意識のうちに行なっている瞬時の動作を描いているのである。

 浴室のなかでのちょっとしたマルトの仕草が芸術家ボナールの感性をことのほか刺激したのである。マルトもそれをよく心得ていて、ボナールの心を高ぶらせるイメージを提供しつづけるのだ。ボナールはマルトがあらわす瞬時の美をすばやくスケッチしたり、写真に撮ったり、心の記憶におさめたりしてから、あとでアトリエに入ってゆっくりとキャンバスのうえに再現する。再現の過程では、色彩の魔術師の手によって、かぎりなく官能的に、かぎりなく肉感的に芸術的な加工がほどこされていく。

 完成した裸婦はもとよりマルトそのものではない。ボナールの頭のなかで咀嚼されて、達人の手を通して色づけされた芸術作品である。そこにあらわれた裸婦たちは光の色につつまれ、浴室のなかの色彩とよく調和して、ボナール特有な世界を現出せしめている。それはだれの目にもボナールの作品であることが疑う余地がない。それほどまでに個性的な作品だからこそ、われわれはボナールに魅かれるのであろう。

 ボナールは50年ものながきにわたってマルトを描きつづけた。マルトはボナールの作品のいたるところに顔を出している。ときには、家のなかで忙しくしているところとか、ただぼんやりと椅子に坐っているところとか、伴侶としてのマルトとして登場している。その一方で、マルトは愛人としても重要な役割をはたしている。それが裸婦なのである。ボナールはマルトをモデルにして数多くの裸婦を描いている。それもながい年月にわたっている。それらの作品をみると、ボナールの絵の変遷とともに、マルトの年齢の移り変わりがわかって興味深いものがある。繊細でしなやかな肉体からややふとめの肉体にかわるまでじつに30年もの年月が経過しているのだ。

マルトがそんなにもながいあいだボナールのモデルであるつづけたことも一種の奇跡のようにおもわれるが、それにもまして、ボナールをしてそのようになさしめたのは、なによりもボナールのマルトにたいする愛情の深さにあったのではなかろうか。その証が死後も彼女を描きつづけたようにおもわれる。

わたしはあらためて表題のボナールの裸婦に見入った。63歳になったマルトが描かれているのである。肉体的にはさほどの魅力はない。が、それでいて魅力にみちている作品なのだ。愛情がみちあふれているからなのであろう。


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<オランピア> マネ

 一見しただけではなんらの感興がわかない絵画であっても、何回となく観ているうちに、あるいは、描かれた背景なりがわかってくるうちに、徐々に味わいの深い絵画であることがわかってくる作品がある。わたしにとって、マネの「オランピア」はそのような作品なのである。

 「オランピア」のモデルは街中のどこにでもいる女性である。マネはその女性をモデルにしたのだ。マネがこの作品を世の中に問うまでの裸婦はどのような官能的な裸婦であっても、その背後には神話や歴史や寓意などを背負っていたのである。それがいくら見せかけの衣であっても、そのおかげで鑑賞者たちはお互いに奇異な目で見つめあうことなく裸婦のもつ真価を鑑賞することができたのである。

 ところが、裸婦でもこれがどこにでもいる若い女がモデルとなると話が一変してしまうのだ。その当時の人々にとっては、どこにでもいる女性を裸婦として描くことはタブーであったのである。そのうえ、マネには前科があったのだ。「草上の昼食」という作品でちゃんとした衣装を身にまとったふたりの男のなかに、ひとりの裸の女性を登場させたのである。それだけでも、かなりの非難の的になったのに、こんどはおなじ女性をこともあろうにベッドの上の裸婦として堂々と登場させたのだ。

 その結果、「オランピア」は、恥知らずとか、卑しいとかの非難にあったばかりか、罵倒をあびせかけながら、ステッキでなぐりかかるものまでがあらわれたのである。マネは二度もタブーを犯したのである。

 「これはなんと貧相な裸婦なのだろうか」
 これが「オランピア」をはじめてみたときのわたしの実感である。ゴヤの「裸のマハ」をはじめてみたときのような感動がわいてこないのである。ゴヤのほうが半世紀もはやくこの作品を描いているのに、それよりもはるかに洗練されていなければならないマネの作品には官能のひびきが伝わってはこないのだ。

 それでいて、この「オランピア」はわたしの心の片隅に居座りつづけていたのである。その証拠にこの作品を目にすると、そのまま素通りすることができずに、その都度、しばらく対面することとになるのだ。そうこうするうちに、この作品のデッサンの確かさにわたしは目を向けるようになっていた。同時に、解説書などもみるようになった。

 そこでわったことは、マネは故意にこのような裸婦を描いたことである。どこにでもいる女性を裸婦として登場させたことも、もとよりそのあとの絵画の展開を考えると、大きな意味があったのであるが、それよりも「オランピア」の貢献度はむしろその特有な造形性にあったのだ。

 それまでの作品はおしなべて、裸婦のもつ肉体のまつみやふくらみをあらわすために、遠近法や明暗法、さらには、肉付法を駆使して描かれているのであるが、マネはこれらの技法をすべてなげすてて、正確なデッサンだけによって、裸婦の立体感をあらわしたのである。「オランピア」は明確な輪郭線と平坦な色面とによって描かれているといっても過言ではないのである。

 このような観点から「オランピア」とみつめなおしてみると、それまでにはなかった感興がわいてくる。「オランピア」は絵画の幅をひろげるという意味で、多大な貢献をした作品なのである。


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<アヴィニオンの娘たち> ピカソ

 あなたは、これまで観た絵のなかで衝撃を受けた作品をひとつだけあげろといわれたら、なにをあげますか? わたしはためらうことなく、ピカソの「アヴィニオンの娘たち」をあげます。この作品を一瞥した瞬間わたしはみてはならものをみてしまったような衝動にかられて、画集から目をそむけました。

 もう一度おそるおそる目をむけなおしてみると、五人の裸婦たちのうちの真ん中のふたりの裸婦がするどいまなざしでわたしを見つめているのです。そればかりか、ひとりの裸婦が片手を、そして、もうひとりの裸婦が両手をあげて、するどいまなざしとともに、魅惑にみちたポーズでわたしを挑発しにかかってくるのです。

 それでいて、奇異な感じをうけるのです。裸婦たちは正面をむいているのに、鼻だけは横向きで片側に押しつぶされているのです。裸婦たちには陰影がほどこされることなく、平坦で単純に描かれています。胸のふくらみは描かれてはいるものの、線でかたちどってあるだけにすぎません。裸婦に特有の肌のまるみや柔らかさも感じられないのです。

 それでもこのふたりの裸婦はまだよい方で、右側に描かれているふたりの裸婦に目を向けた瞬間わたしは本能的に視線をそらしていました。それほどまでにふたりの裸婦は奇怪な姿をしているのです。そればかりか、顔が故意に醜く描かれているのです。

それは顔をつくっている目や鼻や口などをいったんバラバラにしてから、正面からみえるように組みなおしているようにおもえるのです。それまだよい方で、この裸婦はからだがむこうをむいているのに顔だけは正面をむいているのです。

 わたしは左側の裸婦に目をむけてみました。そこには片手をあげながら、真ん中のふたりの裸婦のもとへ歩み寄っているひとりの裸婦が描かれています。この裸婦は横向きに描かれているのですけれど、おかしなことに、眼だけは正面をむいているのです。

 わたしにとって、「アヴィニオンの娘たち」はなんとも形容しがたいグロテスクな絵なのです。すでにこの作品を目にしてからかなりの年月がすぎていますけれど、いまだにこの絵はわたしの心のかたすみに焼きついていて離れようとはしません。それもそのはずで、当時のピカソのアトリエを訪れて、この作品を目にした友人たちは、ピカソはそのうち首をつるであろうと囁きあったといわれているくらいですから‥‥。

いったい絵の魅力とはどのようなものでしょうか? そう問われれば、こたえる人たちによっていろいろな回答があるでしょう。そのなかで、わたしには、鑑賞する人たちにどのくらいインパクトを与えることができたかという尺度がきわめて重要なようにおもわれます。

 ルネッサンスの画家たちが心血をそそいだのは、いかにして本物らしい絵を描くかということでした。それ以来、五百年もの長きにわたって、多くの画家たちが本物らしい絵を描きつづけてきたのです。それにたいして、アンチテーゼをつきつけたのがまさにピカソであり、その記念すべき作品が「アヴィニョンの娘たち」であったのです。

「わたしは正面にみえる対象を描いているのですけれど、いつもその裏側にあるものも描きたいという衝動にかられています」
 これはある著名な画家の述懐であるといわれていますが、それをピカソは一枚の絵のなかで実現したのです。「アヴィニオンの娘たち」がキュビズムの幕開けをつげる作品であるといわれる所以です。

 それにしても「アヴィニオンの娘たち」はグロテスクな作品です。それだからこそかえって、インパクトのある作品になっているのかもしれません。すくなくとも、わたしはこの作品から大きなインパクトをあたえられました。わたしにとっては、好き嫌いをこえたなんとも表現しがたい偉大な作品なのです。


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